【前編】僕はヒーローになりたいー。格闘家・菊野克紀が闘い続ける理由と真の“強さ”

2014.08.29 AZrena編集部

菊野克紀

本日は、1月から世界中の格闘家が目指す大会である「UFC(Ultimate Fighting Chanpionship)」に参戦されている総合格闘家の菊野克紀選手に、インタビューをさせていただきました。世界で活躍される菊野選手の強さの秘密に迫ります。

 

23歳で上京し、総合格闘技の道を歩む

 

–  格闘技を始めようと思われた、きっかけを教えてください。

小学生のとき、僕は、弱虫で泣き虫、力自慢ではあるけれど心が弱い男でした。単純にドラゴンボールやジャッキーチェン、プロレスラーに憧れて、強くなりたいと思い、中学校で柔道部に入ったことがきっかけです。

 

–  柔道ではどれくらいのレベルだったのですか。

僕は中学、高校と柔道部だったのですが、高校2年生の新人戦で鹿児島県大会で優勝して、九州大会で3位になりました。嬉しくて調子に乗っていたんです。でも、高校3年、優勝候補として出場したインターハイ予選の2回戦で、1年生の相手に負けて、悔しくて初めて試合で泣きました。1年生とはいえ、相手は強豪校の選手で3時間も4時間も練習している選手でした。それに対して僕がいた高校は進学校で、練習時間は1時間程度でした。「だからしょうがない」と自分にいいわけしてしまう自分がまた惨めでした。

 

–  進学校は練習時間の確保が難しいですね。卒業後の進路は決められていたのですか。

周りの友達は、志望校を決めてどんどん受験モードに入っているのですが、僕はなりたい職業も、行きたい学校もありませんでした。柔道に負けてウジウジしてる中、周りは必死に頑張っていて、自分はやりたいことがない焦りで悶々とした毎日を送っていました。

 

–  その気持ちはどうやって解決されたのですか。

ある日、中学校からの親友2人に呼び出されました。そこで、「俺たちは、お笑い芸人になってビッグになるんだ!!」と、公園で遠くを見て、目をキラキラさせながら言うんですよ。忘れもしない高校3年の夏です。こっちは柔道で負けて悔しくて、やりたいことがなくて、どうしよう!ってなっているときにですよ。親友だからこそ、負けたくないんですね。その場で5分くらい自分を見つめ直しました。結局、見つけた自分のやりたいことは「強くなりたい」だったんです。その場で、その親友に「俺は格闘家になる!」と言い返しました。

 

–  そこで格闘技への第一歩が始まったのですね。

親友がいなければ、柔道で負けていなければ、今は無かったと思います。本当に縁が重なって格闘家への道が始まりました。当時、PRIDEもテレビでやっていたりして、すげーな。くらいに思っていたのが、そこで闘おうという思いに変わりました。自分が人生かけて格闘技に打ち込んだらどこまで強くなれるのかを試したかったんです。

 

–  そこから大学に進学されたのですか。

大学には行っていません。大学に行ってしまうと、勉強で練習できない時期も出て、また自分に言い訳してしまうような気がしました。また、打算的ですけど、僕が柔道の強豪大学に入って一生懸命練習したとしても、柔道ではトップになれないとも思いました。柔道のオリンピック級の選手は小学校から中学、高校とトップ級の練習をして、更に大学で凌ぎを削っています。だから、大学に行きながら総合格闘家になるとか柔道をするという選択肢は選びませんでした。人生を懸けて挑戦するのだから、1番を目指さなきゃ意味がない。だから大学に行かずに、プロの総合格闘家になろうと思いました。

 

–  総合格闘技のジムに入られたのですか。

いいえ。最初は、世界で一番になれる格闘技の環境を求めて、東京にいこうと思いました。しかし、お金がなかったので、1年間、土木作業員をしてお金を貯めようと思い、その間、実家の近くの極真空手の道場に通うことにしました。そうしたら、偶然その道場で木山仁(きやまひとし)という極真空手の世界チャンピオンが指導されていたんです。実家に居れば生活に追われることなく、練習だけできるし、しかも世界チャンピオンと練習ができるのでと思いそのまま鹿児島に残り極真空手の修業をさせていただくことにしました。最初の1年は、一般道場生。その後、4年間は内弟子として朝は「練習」、昼は「事務仕事」、夜は「一般の方の稽古」をさせていただいていました。

 

–  世界チャンピオンの元で練習できたことは、得るものは大きかったですか。

すごく大きいですね。僕が入ったときは、木山仁先輩は中量級の世界チャンピオンだったんです。そしてその後、無差別級の世界チャンピオンも取ったんです。その過程を見ながら一緒に練習して飯も食べて近くで見ることが出来たので、世界チャンピオンってこうやってなるんだ!というのを身近に感じることが出来たことが、一番大きな財産になりました。

 

–  世界チャンピオンの練習は辛くありませんでしたか。

そうですね。極真空手は体育会系で、特に内弟子は厳しくて、返事の全てが「押忍!」という言葉なんです(笑)「はい」とか「いいえ」もだめなんです。極端な話、殴らせろと言われても「いいえ」と言っちゃいけないので「お〜す。。。」と押忍の言い方で抵抗するしかないんです(笑)高校のときは、上下関係も緩く、厳しい環境の高校ではなかったので、そのまま厳しい環境も知らずに東京に行ったら、潰れていたかもしれません。極真空手で精神を鍛えたことで、どんな苦境にも負けず頑張れたとも思うので本当に感謝しています。

 

–  極真空手での成績はどのようなものでしたか。

九州大会、関西大会では優勝しました。

 

–  そのまま極真空手の道ではなく、総合格闘技の道を考えられていたのですか。

そうですね。総合格闘家になるために極真空手をしていました。でも、ルールが違うので、極真空手をやっている時は、極真空手で勝つために練習していました。本当はもっと早くに総合格闘技に移るつもりだったんです。でも、理不尽な指導をしてくださった先輩に勝つまでは、僕は総合格闘技には行けない。と思いました。理不尽な指導をされた上に試合でも勝てないんですよ。その先輩に日頃もやられて、試合でもやられて悔しいわけです。結局その先輩に勝つまで、5年かかってしまいました。

 

–  勝ってからは理不尽な指導は無くなったんですか。

強くなるにつれて、減っていきましたね。プロの世界は、勝てば正解、負けたら不正解というような世界ですから。負けたら本当にボロクソに言われる。でも、負けた僕が、弱い僕が悪いんです。そういう意味で本当に鍛えられました。

 

–  その後東京へ移られたのですか。

はい。23歳で上京しました。

 

–  上京されてから総合格闘技を始められたのですか。

そうです。もともと総合格闘技をやりたかったので、今所属しているアライアンスの高阪剛さんという日本格闘技界のパイオニア的な方の道場にいき、吉田秀彦さんや須藤元気さんなど、蒼々たるメンバーが練習しているのを見て、ここはすごい!と思いました。また高阪さんと話して、この人に僕の人生を預けたいと思いました。

沖縄拳法空手を総合格闘技に取り入れる

 

–  現在の菊野選手と言えば、沖縄拳法空手の使い手というイメージがあります。菊野選手と沖縄拳法空手との出会いを教えてください。

2年前の3月に出会いました。偶然なんですけど、僕の従妹の結婚式に出席した時です。従妹の旦那さんが空手部で、その同期の方が沖縄拳法空手を取材している方で、僕に話しかけてきてくれて、「本物がいるので、一度セミナーに来ませんか。」と言われて誘ってくれたんですよ。でも、ちょっと軽そうな人だったし、僕もいろんな空手の先生を見てきていたので、本当かなあ・・・という感じだったんです。

 

菊野克紀

 

–  以前から沖縄拳法空手に興味を持たれていたのですか。

知りませんでした。でもずっと総合格闘技で世界で一番になるための何かを求めていたんですよ。自分は世界で一番の身体を持っているわけでもないし、世界で一番の才能があるとはとても思えなかったんです。かといって世界で一番の練習環境があるかといえばそうでもない。僕はどうやって世界で一番になろうって、ずっと探して悩んでいました。古武術とか空手にヒントがあるんじゃないかと思って探したり、いろいろな研究をして実際に試したりもしました。でも、うまくいかずに、自分の軸になる明確なものがずっと見つかりませんでした。そんな中で声をかけられたので、とりあえず行ってみるか。と行ってみたら、ド本物でした。そこからほんとに楽しくてしょうがないです。これだ!見つけた!やった!という感じで。

 

–  空手を総合格闘技の中に入れることは難しくはありませんか。

いえ。沖縄拳法空手っていうものが本当にすごいんです。今までの地面を蹴る、腰を捻るという西洋的な考え方とは全く違います。逆なんですよ。

 

–  菊野選手のパンチをもらっている動画を見たことがありますが、あれも沖縄拳法空手の要素が入っているのですよね。(そこから、軽くパンチしてもらう流れに)や、やはりパンチが重たいですね。コツがあるんですか。

はい。地面も蹴ってないし、腰もひねってはいないのですが、極端に言うと手から動いて身体が引っ張られているんですよ。身体の重さがそのまま伝わるような。そういう身体の使い方を型で養っているんです。

 

–  本当に見た目は力が入っているように見えないですよね。

これで顔を殴れば効くと思います。

 

–  それを総合格闘技の中に取り入れたということですね。

これだったら世界一になれるんじゃないかと思っています。少なくとも外国人はまだやっていないので。これだったら勝負できると思っています。

 

–  従来の理論とはかなり違うということですよね。

みんな体感したらわかりますね。しかもこれを型で養うということが、また夢があるんです。今までなんの為にやっているのかわからなかった型で、こういうことか!というのがわかると嬉しいですよね。筋肉ではなく、身体の使い方なので年を取ってからでも衰えないので、60歳になっても強くなり続けられるんです。60歳から始められている方もいますが、とてもパンチが強くなりましたよ。

 

–  今までは、型で強くなることは難しいことだったのですか。

僕もいろいろ研究してきましたが、沖縄拳法空手に出会うまでは型で強くなる明確な答えとは出会えませんでした。今普及してる空手はルールができて競技化されているので、そのための練習になっていくことが多いです。そうなっていくとパワーやスピードやスタミナの稽古がほとんどになってしまいます。でも、それは60歳ではできないですよね。競技化されるのは、普及するには良いことかもしれませんが、相反するところもあります。柔道もそうですけど、本質が失われていくこともあります。

 

–  沖縄拳法空手の理論や身体の使い方はいろんなスポーツにも応用できそうですね。

効率的に体を動かせるようになるので、応用できると思います。また、日本人と非常に相性が良いと思います。ボクシングやレスリングは、筋肉質で、手足が長いという外国人によって生まれたものです。日本人は、日本文化の中で養われた空手や柔道や剣道などを活かす方が、勝ちやすいのではないのかなと思います。外国人と同じことをやっていたら難しいと思います。

 

【後編】へ続く