竹田誠志は、なぜデスマッチに身を投じたのか? 痛みを厭わない世界の魅力
デスマッチ。プロレスのルールをより危険にしたものであり、蛍光灯、強化ガラス、カミソリなどの凶器を用い、特殊リング上で戦う。肉体的にも精神的にも極めて過酷な競技である。
有名なものには四方を金網に囲まれた「金網デスマッチ」、リング外に対戦者以外のレスラーを配置しリングアウトした者をすぐリングに押し戻す「ランバージャック・デスマッチ」(相手との対立関係にある場合、リング外の選手が暴行を加えることもある)がある。
この恐るべき競技に、人生を捧げた男がいる。それが、竹田誠志(たけだ・まさし)だ。総合格闘技団体・U-FILE CAMP出身ながらプロレスに身を投じた異色のデスマッチ・レスラーに、競技の魅力から舞台裏まで語ってもらった。
竹田誠志(たけだ・まさし):
1985年8月13日、東京都・町田市生まれの格闘家。中学生の頃からデスマッチに興味を持つ。調理師学校を卒業後、U-FILE CAMP入門。ZST、DEEPなどを経て2008年に大日本プロレス初参戦、初めてデスマッチを経験。以後、デスマッチを信条とし、マンネリ化した周囲を批判するなど業界の盛り上げに腐心している。
両親の反対を押し切り、プロレスの道へ
――いつ頃からデスマッチに興味を持ったのか聞かせてください。
竹田誠志(以下、竹田) 中学3年生からです。もともとプロレスが好きだったのですが、ある日友達がレンタルビデオ屋でデスマッチの映像を見つけてきて。今、自分が出ている大日本プロレスのもので、スキンヘッドのおじさん達が血だらけになりながら殴り合っていて。衝撃を受けましたね。
中学3年までは、野球をやってたんです。でも、才能がないことに気が付いて。その後は元々好きだったお笑いを始めようとしたんですが、アンジャッシュさんも来ていたオーディションで見事にスベって。友人が「もうやってらんねぇよ」となって、そちらも辞めました(笑)。
それで、次は何をやろうか考えていた時にデスマッチを思い出したんです。調べると、プロレスラーになる人は柔道やレスリングをやっていたので、レスリング部のある高校に進学しました。そこで国体にも出場しています。競技で大学に行く話もありましたが、デスマッチしか見えていなかったので断りました。
――高校卒業後は、調理師学校に進学したんですね。
竹田 進路相談のための三者面談があったのですが、担任がたまたまプロレスマニアでした。「デスマッチやりたいんで、大日本プロレスに就職したい」と正直に話したら、『お前、バカじゃねぇのか?給料も安いし、親も悲しむから辞めておけ』と一蹴されました。でも最終的には熱意が伝わったようで、認めてくれたんです。
ただ、選手を辞めた時に困らないよう資格だけは取っておくことを勧められました。それで、調理師免許を取るために専門学校に通うことにしたんです。元々料理をするのは好きでしたし、今も自炊しています。
――デスマッチをやりたいと言ったら、親御さんは反対しそうですね。
竹田 両親とも反対していました。説得するためにデスマッチの映像を観てもらったことも。結局その時点では専門学校に1年間通うことしか決まりませんでしたが。学校に通う1年、何もトレーニングしないままではいかないので、U-FILE CAMPに入ることにしました。親には「あくまで趣味」で通していましたね。
レスリング出身ということで総合格闘技にもすんなり入っていくことができました。大会にも出るようになり、そのうち調理師学校に通いながらジムの管理をしたり、先輩の付き人をしたりするようになっていきました。DEEPの若手選手の大会に出て、そこで菊野克紀さんとも試合をしています。その後はパンクラスやZSTにも呼んで頂いて、出場しました。
――でも、やはりデスマッチをやりたかったと。
竹田 最初の2年くらいは、プロレスを半ば諦めていました。でもU-FILE CAMP内にもプロレスをやりたい人の団体・STYLE-Eとして活動している方がいました。そこに自分も誘って頂くことができ、約1年後にプロレスのデビュー戦をすることになったという流れです。
プロレスの様々な大会に出ていくうちに大日本プロレスの選手が出ている試合にも出場するようになったので、そこで自分を売り込んでいきました。そしてテストマッチを受けることになりました。
だから総合格闘技とプロレスが少し被っている時期もあります。でも両立するには限界があって、元々やりたかったプロレスに徐々にシフトしていました。
痛みを厭わないデスマッチの世界
――デスマッチと一口に言ってもいろいろな試合方式がありますよね。竹田さんが嫌な試合方式は何ですか?
竹田 嫌なのはガラスですね。強化ガラスをコーナーに2枚立て掛けて、そこに向かって相手選手を投げるわけです。蛍光灯は割れても破片が小さいので、切れても深い傷にはなりません。でもガラスの場合は破片が大きく、鋭利なので皮膚がえぐれる。治りも遅いですし、出血量も多いです。
あとは画鋲ですね。アドレナリンが出ていて痛みに鈍くなっているとはいえ、手や足に刺さると我に戻ります(笑)。
ただ、我々は感覚がマヒしているので、試合前の控え室では「今日は蛍光灯? ラクだね!」みたいな感じで(笑)。もう意味分かんないですよね。
――アドレナリンが切れた試合の後はさらに痛そうですよね。
竹田 そうですね。試合後はシャワーを浴びるわけですが、その時が一番痛いです! 熱いのも冷たいもダメ、ぬるま湯がちょうどいい。しかし、会場によってはシャワーがないところもあって、そうなると持参したホースを水道に繋いで、外で水浴びをするしかなくなります。それもできないところは、タオルで拭くしかありません。
――試合の形式については事前に相談、報告があるんですか?
竹田 形式は団体が勝手に発表しています。タイトルマッチなどの特別な試合であれば、双方でどういう形式にするか提案・相談があったりするのですが、基本的には自由。例えば蛍光灯マッチに画びょうを持参しても大丈夫です。
ちなみに、試合で使用される蛍光灯は全て使用済み。新しいものを使うと硬くて、割れた時に破片が粉々にならないんです。
――竹田さんはどんな試合形式がやりやすいですか?
竹田 テンションが上がるのはカミソリ(マッチ)ですね。カミソリの刃だけを発砲スチロールに刺してボンドで固定します。そこに投げたりするとスパッと切れて血がたくさん出るんです。基本的に僕は血がたくさん出た方がテンション上がりますから。あとは蛍光灯も好きですね。
ただ、僕の方からカミソリ形式を提案することはないです。アイテムには、それぞれ特定の選手のイメージが付いているものだからです。カミソリの試合形式は僕が憧れていた(※)葛西純選手が初めて用いたものなので、自分から出すとパクっていると思われてしまいます。
同様に、選手には各々のカラーがあって、僕の場合は黒。“気狂いで、痛いことが好き”というキャラクターを全面に出しています。例えば、有刺鉄線ボードを用いる時は本来、刃はその下にいる選手に向けるものです。しかし、僕は意図的に覆いかぶさる自分の方に刃を向けて使ったりします(笑)。蛍光灯でスピアー(タックル技の一種)をしすぎて、肩が傷だらけだったりもします。
※葛西純選手:プロレスリングFREEDOMS所属。カミソリ十字架ボードデスマッチを代名詞とし、竹田選手とも度々対戦しているが、トレーナーも務めている。
――毎試合たくさん傷をつくることになると思いますが、治るまで試合をしないわけにはいきませんよね。
竹田 月に平均10試合、週に2~3試合です。地方開催の場合もあるので、そうなると1週間連続でデスマッチなんてこともあります。当然、前の試合のケガは治らないまま。バンソーコーを貼ったりはしますよ、傷口から菌が入ったら困りますから。でもどうしても血が止まらないとか、傷口が塞がりそうにない場合以外はめったに縫うことはないです。とにかくテープで付けて、あとは時を待つという感じです(笑)。治りきらないまま、ケロイドのように膨れてきてしまうこともあります。
――傷の重症度についての医療的な判断をする人はいるのでしょうか?
竹田 基本的にはいません。大日本プロレスには一応いるんですけど、産婦人科医(笑)。縫うのはうまいですが、専門的ではないということです。だいたい自己判断です。
【後編へ続く】