高橋藍(元シュートボクシング日本王者)が見据える、「女性が輝く世界」
女子シュートボクシングの世界でトップクラスを走ってきた高橋藍は、20代後半にプロの選手となったという異色の経歴の持ち主である。そんな彼女が、今年、6年半の現役生活にピリオドを打った。決して長くない選手生活だったが、彼女にはその後の人生で成し遂げたい強い目標があると言う。
気がついたらベルトを巻いていた
――まずは、シュートボクシングをはじめたきっかけを教えて下さい。
もともと、格闘技を見るのが大好きで、特に全盛期だった当時のK-1を食い入るように見ていたんです。私自身がその舞台へ立つことへの憧れももちろんあったのですが、女性なので格闘家にはなれないと思っていました。女性の試合はやっていなかったですし、そもそも女の人が格闘技をやれるというのも知らなかったんです。「男だったらやるのにな」と思っていましたね。ですが、20歳を越えたときに知人から、シュートボクシングのチケットがあるから行かない?と誘われて後楽園ホールに行ったんです。そこで本物の戦いのかっこよさに面食らってしまって。観客の人の熱気とか、選手が真剣に打ち合っている姿を見て、衝撃を受けました。もちろんテレビでは見ていたんですけど、生で感じる臨場感はすごく、一気に引きこまれました。そこから、まずはジムにフィットネスとして入門したのが始まりです。
――そこから本格的にやるようになっていったと。
小さいころから私は負けるのが大嫌いでした。特に男の子に負けるのが嫌だったんです。それでフィットネスから転じて男の子にスパーリングを挑むようになって…。やっていくうちにだんだん手応えを感じるようになっていました。自分が強くなった実感が湧いたのが嬉しかったですね。
でも、その時点でプロになろうとは思っていませんでした。そんなことは頭にもなかったですし、側で男性の選手がすごく辛い練習をしているわけですよ。「あんな過酷なのは絶対にやりたくないな」と思っていました。フィットネスとしては良いですけど、シュートボクシングをプロとして本気でやっていくのは厳しいなと。
そんな中でジムの方から『プロにならないか』と声をかけてもらったんです。 そのときは仕事が本格的に忙しくなって練習に通う時間も無くなってきていたので「無理です…。そろそろジムを辞めなければと考えていたんです」と言ったんですけど、『いまやらなければ一生できないよ』ということを言われて、悩みました。そこから1週間考える時間をもらって、1回やってもしダメだと思ったらそれでいい。まずは初戦をやってみよう!という流れでやる決意をしました。
――その当時はいくつだったのでしょうか?
27歳です。フィットネスでジムに通い始めたのが20歳で、21歳からシュートボクシングを始めたんです。そこではもちろんプロになるつもりはなかったですし、実際にプロになっても、チャンピオンになってやるとか、そういう理想もないまま、一戦一戦、目の前のことだけをやってきただけなんです。“自分がどういう格闘家になりたいか”というものは少し持っていましたが、具体的には描かないまま、気がついたらタイトルマッチだったり、トーナメントをやっていたりしました。気がついたらベルトを巻いていた、というような感じとも言えるかもしれません。
――たまたまで巻けるものではないです(笑)
負けたくないという思いだけがそこまで連れて行ってくれたのだと思います。目の前の相手に負けたくないという思いは常に先行していたので。多少はタイトルのことを意識はしていますけど、ベルトがどうしてもほしいとか、チャンピオンにどうしてもなりたいとか、そういう思いを強く持っていたタイプではなかったと思います。
――昔から負けず嫌いなのですか?
そうですね。かけっこもそうですし、ドッジボールとかもそうですし。クラスに1人くらい男子に対抗する女子っているじゃないですか。そういうタイプでした(笑)
競技人生の中で転機となった出会い
――今年で引退をしましたが、どれくらい選手として活動したのでしょうか。
6年半ですね。あまり長くはないと思います。やっている最中は長いと思っていましたけど、終わって振り返るとあっという間でした。ただ、1人だったら6年も続けられなかったと思います。きつい練習をみんなで1つになってやってきたからこそ、ここまで続けることができました。また、周りからの“頑張って!”の一言に助けてもらいました。疲れがあったり、テンションが下がったりしたときに気持ちを上げられたのは周りの人の力が大きかったなと思います。
――辛い話が多いですが、楽しかった出来事はあったのでしょうか?
いや…(笑)今だったらやりたくないな、ということばかりですね。1番きつかったのは、夏の試合前にタイ人のトレーナーがつきっきりで見てくれたときです。1時間半くらいミットを蹴りっぱなしだったときがありました。間髪入れずにやり続けて、「いつ終わるんだろう?」と思いながらやっていました。他にもきついことはありましたけど、あのときは意識も飛びそうでしたし、大変でした(笑)あれがあったからこそ、負けたくないという気持ちが強くなったかなと思います。
――ボクシングの藤岡奈穂子さんにお会いしたのが選手としての1つの転機だったという話を聞きました。
藤岡さんとの出会いはめちゃくちゃ大きかったですね。実は私3回、同じ相手に負けているんですけど、その後に4度目の挑戦機会があったんです。1回目は眼窩底(がんかてい)骨折をした上に、トーナメントの決勝戦で当たって負けてしまい、その1年後も同じようにトーナメントで対戦して負けました。そのとき、先ほど話した1時間半のミット打ちを含めた練習を誰よりもしました。本当にトレーナーとマンツーマンで、めちゃくちゃ練習していたんですけど…それだけやっていても、また負けてしまった。3回も、ですよ。
3度目の敗戦から4度目の再戦をするまでは2年間空くことになります。その間にジムの会長からも『もう1回戦え』と言われていました。ただ、どうやったら勝てるかわからない。「1時間半やったミット打ちを2時間やれとか、そういうことなのかな?」とも思いました。でも、そんな練習はできないと感じていましたし、やったとしても勝てるイメージが湧かなかったんですよ。ですから、やらなくて済むならそのまま戦わずに辞めていこうと考えていました。そのときにたまたま、藤岡さんにお会いしたんです。
女子シュートボクシングの大会にたまたま彼女がいらっしゃっていたんです。私は直接の面識はなかったのですが、強いというのは知っていましたし、お会いしたいと思っていました。そこで、関係者の方に紹介してもらい、一緒に練習をさせて頂けるようにお願いをしました。一緒に練習をしたのは引退までの3〜4ヶ月という短い期間だったのですが、練習に対するマインドやテクニックがそれまで自分が得てきたものと違ったので、考え方が180度変わりましたね。
『試合に勝つための練習をどれだけやるか』ということと、『質にこだわる』ということを藤岡さんはずっとおっしゃっていたのですが、それが私にすごく響きました。その結果と言ってはあれですが、4回目の対戦において、判定ですが2−1で勝利することができました。
シュートボクシング界全体が輝いて見えるように
――引退をしようと思ったのはいつごろだったのでしょうか?
私は結婚しているのですが、去年の頭くらいから、子供も欲しいと思うようになったんです。女性としての身体的な理由からも、どこかでピリオドを打たなければいけないなと。それで、去年1年間を最後に引退すると考えました。
――引退してこれからはどういう活動をしていく予定なのでしょうか?
出版の仕事をずっとやっていたのですが、去年1年は引退するということもあって雇用形態を変えてもらっていました。仕事量を半分にしてもらって、練習量を増やしていました。練習をして仕事をして…の繰り返しだと競技に専念ができないなと。悔いを残したくなかったので、しっかりやりきろうと思ったんです。その中で心と体の両面についても意識するようになりました。食事についても途中で勉強し直し、改善して、体の変化を実感できました。
今は私がそうして得られた経験を今度は総合的にいろいろな女性に伝えていきたいな、と思っています。
世の中で頑張っている女性に向けて、運動・食事・メンタルを合わせて学んでいける環境・コミュニティを作り、私がそういったことを教えることで、みんなが元気になって、日々の活動を頑張れるようなきっかけになればと思います。
――今は、動き出すために学んでいる段階なんですね。
そうです。もともと私はシュートボクシングの総本部であるシーザージムで女性のクラスを教えているので、それをもうちょっと展開して、違うところでも教えていきたいなとも思っています。
また、子育てしているお母さん達の日頃のストレスをミットで受け止めてあげたいなと。モノに当たれるというのはストレスを発散できるので、そういうのを気軽にできるようにしたいなと考えています。
意欲的で、パワフルな女性はたくさんいます。でもそれで頑張りすぎて体を壊している人とか、食事がしっかり取れていない人とか、多いと思うんです。そういうものを受け止められるようなサポートやサービスを並行してやっていければと思っています。奥さんが家でイライラしているよりも、外で何か活動をしてすっきりした状態でいてくれる方が旦那さんや子供にもいい影響があると思います。女の人は行動や口に出すことでストレスを解消できると思うので、それもできるコミュニティづくりをしたいです。
――そういったものを作り、成功させたらまたシュートボクシングにも良い形で還元が出来ますね。
そうですね。引退後は編集の仕事に注力していこうとも思っていたのですが、やはり他にも何か形になることをしたいと思いました。同時に選手を引退しても形に残るようなことができる、というのを周囲に見せていかなければいけないなという思いがありました。競技そのものではなくても、その世界を離れた後に輝いている人がいることが分かれば、シュートボクシングの価値も高まってくると思うんです。だから私は引退した後も、競技の世界全体が輝いて見えるようにいろいろな活動をしていきたいです。