右手1本で日本ランク1位まで登り詰めた村松竜二。 彼がボクシングを通した社会貢献活動に取り組む理由。

2016.10.28 AZrena編集部

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私は自分が好きなことを長く続けることによって自分に自信が付くと思うんです。そしてその方法はスポーツでも勉強でもなんでもいいんですよね。

ただ、私たちはボクシングという武器があるので、それを使って自信を付けてもらえるような活動を展開していきたいという思いです。(元プロボクサー/B-box 村松竜二)

 

NPO法人スポーツ業界おしごとラボ(通称・すごラボ)の理事長・小村大樹氏をホスト役として行われている「対談すごトーク」。今回のゲストは元プロボクサー・村松竜二さんです。村松さんはプロ7戦目を前にしてバイク事故に遭い、左手が故障で使えなくなるという不運に見舞われます。しかし、それ以降も右手のみで戦い、日本ライトフライ級ランキング1位まで登り詰め、その姿は「竜の爪」の異名を持ちました。

現在はトレーナー指導の傍ら、ボクシングを通した青少年の健全育成を目的としたB-boxという団体で活動を行っています。

重要な人物との出会いが連続した中学時代。

一番最初は小学校低学年の時に、少林寺拳法をやっていました。あまり記憶にないのですが、日本武道館の大会で賞を取ったこともあったらしいです(笑)

その後は小学校で少年野球をやって、中学校ではサッカーをやりました。中学校当時の恩師がすごく厳しくて、ボールを触る前に何十周も走らされていましたね。早く走り終えないとボールを触れずに終わってしまうので、そのおかげで足が速くなったり持久力も付きましたね。

実は後に東京ヴェルディに所属し、日本代表にもなった中村忠さんが私の2個上の先輩で一緒にサッカーをやっていまして、その後も同じプロということで関わりが続いていて、私の試合の応援に来てくれていました。

私は現役の時、別の仕事もしながらでしたので、中村さんの試合は観に行けなかったのですが、今も繋がりがあって活動のスポンサーをしてくれています。中学時代は特に大切な人との出会いが多かったように思います。

自分を変えるために自ら行動。ボクシングの世界へ。

そのまま高校でもサッカー部に入ったんですけど、部活には2、3回しか行かず、まともに練習をしたことがなかったですね。

高校だと自主的に練習をやる感じで、中学時代の厳しさとのギャップが激しく、力が抜けてしまい、バイクに乗ったり、少し逸れた方向の道に行ってしまいました。

でも、ある年の誕生日に自分で“ 変わりたい”と思ったんです。そこでたまたまクラスの同級生の松本くんがやっていたボクシングをやってみようと思ったのが最初のきっかけです。

練習は日曜日だけ休みで、それ以外は毎日あり、もし1日休めば取り戻すのに何日もかかるので、全く休まずにトレーニングをやっていました。

私がボクシングを始めるまで、先にやっていた松本くんはあまり練習に行っていなかったようですが、一緒に毎日行くようになったので、お互い休めなかったですね。松本くんとは永遠のライバルで、未だに練習で殴り“愛”をしています。

心に残っているのはジムの先代会長がすごい厳しい人で、入ってすぐは鏡の前でひたすら構えだけしかやらせてくれなかったことです。パンチも出させてもらえず1週間ずっと構えだけを続けていました。結局基本中の基本である構えが体に染み付いて、自然に出るようにならないと隙がある形になってしまいますから。

ただ、今はそんな風に構えだけしかやらせなかったらすぐに辞めてしまうので、早い段階でストレートやジャブとかを教えるんですよね。

戸高秀樹との戦いでベルトを逃した悔しさ

プロ生活で一番嬉しかったのは、最初で最後だったんですけど、勝った時に息子をリングの上で抱っこできたことです。

その時は人伝いで抱っこされてきたので、息子は大泣きしていましたが、自分が抱いた瞬間に泣き止んで、その時に俺も親父なんだなと実感しました。

一番悔しかったのが後に世界王者になる戸高秀樹(元WBA世界スーパーフライ級王者)さんと向こうの地元・九州でやった日本タイトルマッチ(ライトフライ級)です。この試合では自分のボクシングスタイルを全て出し切ったと思っていて、勝ったと確信していたのですが、完全なアウェーだったので判定で負けてしまい、それが未だに悔しいですね。

地元のテレビが入っていたんですけど、その解説も戸高さんのお父さんで話している内容も向こう寄りのことでした。そこでチャンピオンになっていればベルトを巻けていたので非常に悔しかったですね。