悔しさの果てに成長を遂げてきた、法政大学・永戸勝也。新天地の仙台でもその姿勢を貫く。

2016.11.08 石津 暁

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八千代高校、法政大学と7年間、橙色のユニフォームを身に纏っていた。そして、2017年から戦いはJリーグに舞台を移す。次に袖を通す色は「ベガルタ・ゴールド」。ベガルタ仙台に加入内定が決まった永戸勝也は、決して順風満帆にサッカー人生を歩んできたわけではない。味わった悔しさを成長のきっかけとして乗り越え続けてきたからこそ、今の彼がいる。

八千代という環境。高校2年からレギュラーに定着。

永戸がサッカーを始めたきっかけは、2つ上の兄から受けた影響による。小学生からサッカーに打ち込み、中学時にはジェフユナイテッド千葉のジュニアユースのセレクションに落選したが、PBJというクラブチームでサッカーに打ち込んだ。そして、高校は、山崎亮平(アルビレックス新潟)、長澤和輝(ジェフユナイテッド千葉)など多くのJリーガーを輩出している千葉の名門・八千代高校に進学。

八千代での3年間では、高校1,2年時に砂金伸監督、3年時に豊島隆監督と出会う事になる。高校1年時は全く試合に絡む事は出来なかったが、高校2年になる前の冬のシーズン遠征でチャンスが到来。Aチームで段々と試合に出場し始め、レギュラーの兆しが見え「開幕スタメンは固い」と調子の良さを肌感覚で感じていた。だが、アクシデントが発生。調子は上向きで進んでいたが、2月に怪我で戦線離脱してしまう。

復帰に時間を要し、ピッチに戻ったのは高校2年の6月。そこから左SBの定位置を確保していく。なかでも、スタメンになってから初アシストをした成立学園との試合は、今でも記憶に残っているという。だが、レギュラーになったばかりの時は、砂金監督から「もう試合に出られないんだろうなと思うぐらい、めちゃくちゃ怒られていました」という。当時を振り返り、「6限が終わるのが本当に憂鬱だった」と心情を吐露するほど、砂金監督の怖さを体感していた。

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ベガルタ仙台との契約サインを終えた時も、すぐにその恩師に電話したが、緊張は変わらなかった。砂金監督は「スーパーな選手ではなかったが、八千代で2年生からレギュラーで出場するのはすごい事。肉体的な強さもかなりあった。だが、チーム事情もあって永戸は守備ばっかりしていた」と当時の永戸を振り返る。

砂金監督は、「永戸の1つ上の代が弱かった」ことがその“チーム事情”だと語っていたのだが、実際に、永戸の1つ上の代で主将を務めていた小林拓矢氏(明治学院大学サッカー部・元主将)は「シンプルに結果が出せなかった代」と形容した。小林氏自身、GKとしてプロの道を目指し、湘南ベルマーレへの練習参加をするなど、Jの舞台に立つための努力を惜しまなかった。「自分の居場所を自分で作る為に、何をやるかをとにかく拘り、考えながら大学生活を過ごしていました」小林氏は語る。しかし、その思いは叶わなかった。そして、その舞台に立つ難しさを人一倍感じているからこそ、“後輩”にこんなエールを込めた。

「勝也はあまり足が速くない。スペースでよーいどんだと負けてしまうので、その事を理解していれば、勝也の前に走らせるボールではなくて、左足の足元にパスを出してあげた方が良い。ただ、勝也は身体が強いので、相手が近くにいてもボールを預けて全然平気。勝也のプレーをもっと共有してあげれば、きっと勝也はプロでも活躍出来る」。

 

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完全に心を折られた選手権

高校2年から左SBの定位置を掴んだ永戸だが、高校3年時になると指揮官が変わることになる。ただ、「基礎は砂金監督の時に完全に出来上がっていたので、特に戸惑いは無くチームは出来上がりました」という。強豪ひしめきあう千葉県内で頂点を取るのは至難の業だが、とにかく結果を出し続けた。予選を勝ち進み、インターハイの出場権を獲得。そのまま歩みを止める事なく、選手権の切符も掴み取った。リーグ戦では、プリンスリーグ2部から1部に昇格するなど“千葉での戦い”は完全に制した1年と言っても良いだろう。だが、全国の壁が厚かった。

インターハイでは1回戦で東福岡に敗戦。そして、最も忘れられないのが冬の選手権の試合である。2013年1月2日、会場はジェフユナイテッド千葉のホームスタジアムであるフクダ電子アリーナ。言わばホームでの戦いと言っても良いだろう。多くの仲間が見守る中、対戦相手は島根代表の立正大淞南だった。

 

「立正大淞南の試合を島根までスカウティングに行っていたのですが、相手はあんまりプレスをかけてこないで引いてくるという分析でした。だけど、試合が始まった瞬間に、相手がバーッと前にプレスをかけて来てかなり焦りました。相手の1点目のミドルもかなり巧いゴールで…」。

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想定外の幕開けに動揺を隠せなかった八千代のDFラインは、前半19分に失点すると、完全に崩壊。守備の軌道修正を図る事は出来ず、自陣のゴールが次々と揺らされる。試合終了のホイッスルがなった時には、1−7まで点差は開いた。チームメイトの中には、当時を振り返って「あまり思い出したくない試合」と語る者もいるほど。永戸自身、試合中に鼻を折るなど、心身ともに「完全に折られた」試合であった。

 

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常に置かれた環境で結果を出す

永戸は、決して順風満帆にサッカー人生を歩んできたわけではない。それは、彼が歩んできた足跡を振り返えれば理解出来る。選手権で味わった悔しさを経て、進学した法政大学では「正直、試合に出られるとは思っていなかった」。だが、大学1年時から持ち味の“左足のキック”を武器にレギュラーに定着するなど、常に置かれた環境で結果を出し続けてきた。だからこそ、筆者は永戸を“自分と向き合える人間”だと強く感じるのだが、それに当たって印象的な出来事がある。それは、2015年8月の総理大臣杯2回戦、対戦相手は関西学院大学との試合だ。

法政大学は、2014年のこの大会で準優勝という結果を残した。永戸はこの記録を含めて1年をこう振り返る。「大学2年生は全てが変わったと思います。とにかく結果が出たのが1番大きいです。結果が出てくると全然違うんです。良い言い方ではありませんが、ピッチの上で相手を見下せるんです。対戦相手に恐怖を感じなくなるというか。そうなると、もう負ける気がしません」

 

大学2年時は、総理大臣杯準優勝、関東リーグ2部優勝など、1年を通して結果が出たシーズンであった。そして、成功体験は人を急速に成長させる。

だからこそ、翌年の総理大臣杯は“優勝”の2文字しか見えていなかったはず。だが、関西学院大学との一戦は、拮抗した戦いを見せたものの1−2で敗戦。 そして、ハイライトは、法政大学が逆転を許したシーン。永戸が関西学院大学・森俊介との1対1の駆け引きで上を行かれ、決勝ゴールを決められたのだ。その後、西の王者である関西学院大学は、歩みを止める事なく勝ち進み、“初優勝”という歳冠を得た。

優勝を目指して戦った法政大は、2回戦で敗退。悔しくないはずがない。しかし、試合後の取材では、永戸は悔しさよりも、とにかく自分と向き合っていた。常に己に矛先を向け、自分のレベルを感じ取る。「滅多に味わう事が出来ない気持ちになりましたが、あのようなシュートがあると自分の頭に入れておかなければいけませんし、その舞台で仕留める力という意味では、“差”があったと思います」こう言っていたのが、非常に印象的である。

 

“全国の舞台で仕留める力”というものを、身を持って体感して出た言葉だ。だが、自分の弱さに気づけた時に、人はまた1歩前に進む事が出来る。そして、弱さを素直に受け入れられる人間性もまた、彼の魅力である。

永戸を指導した多くの監督が彼のプレーだけでなく、その部分にも言及をする。

「大学1年時の永戸はヤンチャでした。だけど、ヤンチャな人間の方が良いんです。真面目な性格の人間は、試合の本番で80%ぐらいしか力が出せない事が多いから。だが永戸の様な人間は“自分を飛び越える”事が出来るんです。自分自身を飛び越える事が出来る人間は、試合の本番で120%の力を出せます。そこが彼の1番の強さです」。とは法政大学・大石和孝元監督の言葉。

「プロになる選手は、何か秀でた武器を持っていなければその舞台には行けない」と永戸は語るが、彼は目に見えない大きな武器も持っている。

だからこそ思う。新天地の仙台で、自分自身を飛び越え、彼の120%のプレーを見せてほしい。そして、多くの仙台のサポーターが永戸に魅せられていく事を楽しみにしたい。

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