10年目で手にしたチャンピオンベルト。父の死を力に変えた“遅咲きのキックボクサー”、勝次。

2016.11.25 AZrena編集部

15139547_10207416217863542_189340129_n

高校でキックボクシングを始め、半年でプロデビューを果たした勝次選手のキックボクシング人生は、その後も順風満帆に行くと思えた。しかし、同じ階級のチャンピオンが同門の選手であったため、挑戦ができない期間が長く続く。その間に格闘技を始めるきっかけを与えてくれた父親が亡くなり、ついにベルトを見せることは叶わなかった。昨年やっとの思いで獲得したベルトを手に墓前に報告した勝次選手が、次に狙うものとは。

 

※キックボクシングとムエタイ:キックボクシングはムエタイを原型として考えられた競技。基本的に有効な打突は同じだが、時間やラウンド数、ポイントについて異なる部分がある。

 

1人でキックボクシングの本場タイへ

まずは、キックボクシングを始めたきっかけを教えてください。

中学3年までサッカーをやっていました。だから小中学生の頃の将来の夢はプロサッカー選手になることだったんですよ。中学の部活を引退した3年の冬休みくらいからは何もしていなくて、ずっと遊んでいました。

サッカーも飽きてきて、どうしようかなと思っていたところで、高校に入ってすぐに親父がチラシを持ってきたんです。『近くに格闘技のジムができたから体験に行くぞ』と言って連れていかれて、体験をし、即日入会しました。

 

即日入会したんですか!やることに抵抗はなかったのですか?

中学2年生の頃から毎週やっていた、ガチンコファイトクラブ(TBS「ガチンコ!」内の不良少年をボクシング選手として育成する企画)を見ていて、放送の次の日は友達とボクシングの真似事なんかをしていて、好きになっていたんですよ。でも近所にできたのがキックボクシング系のジムだったので、蹴りから入ってそのままのめり込んでいったという感じですね。

 

そこからプロになるまでは順調な道のりを来ているように思えます。

半年くらいでアマチュアの試合に出て、1年でプロになりました。高校を卒業してからは、元々子供が好きだったということもあって、親父から『お前は子供も好きだし、選手の間はできるだけ有名になって将来はジムをやれ』という助言も受けていました。

それで高校卒業後はスポーツ・フィットネスを学べる専門学校に行ったんです。

在学中は選手としてタイで行われたアマチュアムエタイの世界大会に出たのですが、そこで日本代表の引率をして頂いたのが今の僕の師匠、(※)鴇 稔之(とき としゆき)さんで、『専門学校を卒業したら、東京においでよ』って声をかけてくれて。親父も『鴇さんについていけ』と言うので、専門学校を卒業した後に上京しました。

 

※鴇 稔之:KickBox会長、新日本キックボクシング協会事務局長。MAキックボクシング連盟バンタム級元王者。

 

ムエタイの本場タイには何度か行っていたそうですね。

高校の時から休みの期間を使って短期間で何度も行っていました。一番長くいたのは30日間で、夏休みを全部使って行っていました。2回目まではトレーナーに連れて行ってもらったんですけど、それ以降は1人で行きました。

 

-1人で修行に行くとなると言葉の問題が出てくると思います。

会話はたくさん勉強して、辞書も持っていきました。たまたま僕が行ったのは世界チャンピオンを数多く生み出している、タイでも一番力を持っているジムでした。一言でも僕がタイ語を話すとすごく盛り上がり、受け入れてくれて、メンバーとはどんどん仲良くなれました。それで僕ももっとタイ語を話したくなるようになって今ではペラペラです。

ちなみに僕は24時間笑ってはいけない某番組でタイキックをしているタイ人にも試合でKO勝ちしたことがあります(笑)

 

日本とタイの環境の一番の違いはどういったところなんでしょうか?

日本だと格闘技をやっている人は普段働いている人が多いので、仕事帰りにジムに寄っても数時間しか練習できないんですよね。しかも仕事で疲れた状態です。

でもタイは男だったら、物心ついた頃にはリングに上げられるんですよ。『家族の食事一食分を稼いでこい!』といった具合で。

勝てばファイトマネーとして数百円もらうことができます。給料に置き換えるとちょうど普通に働いた時の日当分ぐらいにはなります。家族からは勝つと褒められますが、負けるとその金額が半分程度になってしまうので、逆に親からも殴られたりすることがあるんです。

勝ち進むと報酬はほぼ倍になっていくので、上がり幅が半端じゃないんですよね。それでチャンピオンになって有名になったり、人気が出る選手になったら、1試合で20〜30万円とか稼げるようになります。そうなると貧しい家だと1試合で1年分を稼げたりするんですよね。だから日本とタイの一番の違いはハングリー精神です。子供の頃から家族を養うために強くなって勝っていくという覚悟を持ったタイ人と日本人の差は大きいです。

 

父親の死をモチベーションに変えてきた

今までで一番辛かった練習や出来事を教えてください。

キックボクシングをやっていると辛いのが当たり前になってくるので、そういう経験は忘れられるんですよ。楽しいことはあまり忘れないんですけど(笑)

それでもきついのはラッシュの練習です。1分間思いっきり打ち続けて、1分の休憩の後にまた1分ラッシュというのを、5ラウンドやります。それを終えた瞬間に今度はビニール袋を口に当てて呼吸をさせられるんですよ。当然酸素はすぐなくなるので、頭がボーッとしてくるわけです。僕は「もう死ぬ!」と思う寸前でわざと袋に空気を入れたりして、よくバレて怒られていました(笑)

 

減量も大変ですよね。

僕の場合、減量のときは岩盤浴をします。汗を出すにもサウナだと必要以上に体力を奪われてしまうんです。

家で食事は作ったことはないですね。練習の後に行くとなると大抵居酒屋しか開いていないので、そこでお酒は飲まずに定食を食べたりしています。僕は気に入ると毎日通うので、お店の人は気になるのでしょう。店員さんが声をかけてくれるんですよ。それでキックボクシングの選手であることを伝えると大抵応援してくれるようになります。だんだんそういう人が増え、今では試合になると100人を超える大応援団が来ます。

 

きつい練習を乗り越えて、勝次さんがチャンピオンに登り詰めるまで続けてこられた要因は何だったのでしょうか?

一番のモチベーションは親父が死んだっていうことなんですよ。その時僕は20代前半で、体力があって今が一番強いなと思えているいい時期でした。でも当時のチャンピオンが同じジムの先輩で、同門対決になってしまうので挑戦ができなかったんです。

それで“順番待ち”を何年か経験することになるのですが、その時が一番辛かったですね。絶対にチャンピオンになれると周りの人も思っていたのに、チャンスが回ってこなかった。でもその時の思いがあったから限界なんかなく、毎日死ぬほど練習を頑張れました。

本当は一番応援してくれた親父にチャンピオンベルトを見せたかったんですけど、結局その前に亡くなってしまい、叶いませんでした。だから墓の前に必ずチャンピオンベルトを持って行くというのを決めて、それを達成するところからまた自分の新しい人生が始まるくらいの気持ちで臨んできました。

【次ページ】ついにチャンピオンベルトを獲得。次に狙うのは“世界”