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ラグビー・アイルランド代表は、なぜ「統一チーム」なのか? 

2017.07.07 / 島田 佳代子

ラグビー日本代表は6月、2019年のW杯日本大会において、同グループで戦うアイルランド代表を2019年の開催スタジアムである静岡のエコパスタジアムと、開会式および開幕戦が行われる東京の味の素スタジアムに迎え対戦しました。アイルランド代表は世界ランキングがニュージーランド、イングランドに次いで第3位の強豪です。

リース・ラドック主将は今回選ばれた選手はみな、小さい頃にラグビーを始めてグリーンのジャージー(ラグビーではユニフォームと言わずジャージー)に袖を通すことを夢見てきた選手たちであること。さらにその中でもキャプテンに選ばれることはこれ以上ない最高の栄誉だと語りました。

リース・ラドック

ラグビーでは選手のバックグラウンドは関係ない?!

地上波での放送もあったので、今回初めてラグビーのアイルランド代表を観て、国旗や国歌がサッカーの国際試合で目や耳にするもの異なることに気が付いた方もいらっしゃるかもしれません。サッカーではアイルランド代表(アイルランド共和国)と北アイルランド代表(英国)が存在しますが、ラグビーではひとつ(アイルランド共和国と北アイルランドの統一チーム)しかありません。

サッカーでは海外生まれの選手が日本代表になる場合、日本国籍が必要となり、帰化という手続きが必要になります。ところがラグビーでは出生地や国籍は関係ありません。3年以上日本に(*2020年以降は5年へ延長)居住している選手には、日本代表の資格が与えられます。これは日本だけではなく世界共通の規定であり、世界の強豪国にもこの規定をクリアした選手が多く存在します。もともとこのような規定があるため、国籍が異なる選手が同じ代表チームの一員として戦うことは珍しいことではないのですが、アイルランドの場合はだいぶ複雑です。

アイルランドの抱える歴史的な問題

アイルランド島は宣教師聖パトリックによって、5世紀頃からキリスト教(カトリック)が広く信仰されるようになり、独自のケルト文化と、カトリックが融合する豊かな文化を築きます。しかし12世紀以降、英国(こちらはキリスト教でもプロテスタント)による侵略が始まると、長きに渡って支配されることになります。

1919年に独立を宣言し、1949年に独立を果たすと現在のアイルランド共和国が誕生しました。このときプロテスタント系住民が多かったアイルランド島の北部に位置するアルスター地方6州は英国の統治下にとどまることになり、アイルランド島は南北に分裂しますが、このことがまた多くの血を流す原因になりました。

英国からの分離を求める少数派のカトリック系住民と、英国による統治継続を求めるプロテスタント系住民の対立が激化していきます。武力によって独立を勝ち取ろうとする過激派組織「IRA」が生まれ、英国各地でIRAによる爆弾テロが頻発すると3500人もの犠牲者を出しました。2005年にIRAの「武力闘争の終結宣言」も行いましたが、今も北アイルランドでは初対面の人同士での「カトリックかプロテスタント」かの探り合いも珍しくありませんし、首都ベルファストにはカトリック系住民とプロテスタント系住民を隔てるピースウォールと呼ばれる壁が未だに存在します。

ピースウォール

また、英国の統治下にあった19世紀、伝統的なものを復興させようと、1884年にGAA(ゲーリック体育協会)を設立し、16、17世紀頃にアイルランドで行われていたゲーリックフットボールやハーリングというスポーツ(ゲーリック・ゲームズ)を復活させました。英国ではサッカーのことをフットボールと言いますが、アイルランドではサッカーと呼び、フットボールはゲーリックフットボールのことを指します。最も人気があるスポーツです。

そのゲーリック・ゲームズの専用スタジアムとして1884年に建設されたダブリンのクローク・パークは2004年の改修工事で収容人数が82,300人と欧州でもFCバルセロナの本拠地カンプノウ(99,354 人)、ロンドンのサッカーの聖地ウェンブリー(90,000人)に次ぐ第3位の規模を誇ります。独立戦争中の1920年11月21日、ゲーリック・フットボールの試合中に英国軍が観客と選手に向かって発砲し、14人もの尊い命が奪われる「血の日曜日」と呼ばれる事件が起きたこともあり、英国系スポーツ(サッカーやラグビー)の試合を行うことを禁じられていました。

クローク・パーク

ラグビーとサッカーにおける歴史的な和解

ところが、サッカーやラグビーで使用されているランズダウンロードが老朽化により取り壊され、改修工事が行われる間、クローク・パークをサッカーやラグビーに解放することが決まると、2007年2月11日にフランス戦、そして24日には因縁の相手イングランドとのラグビーの歴史的な試合が行われました。事前に心配されていたようなトラブルもなく、歴史的な和解となりました。その後行われたサッカーの試合でもトラブルはありませんでした。わずか10年前のことです。

ただ、サッカーでは1880年に設立されたアイルランド協会(Irish Football Association現在は北アイルランド)だけではなく、独立宣言後の1921年にFootball Association of Ireland(アイルランド共和国)が設立され、代表チームは分裂したのに1879年に設立されたアイルランドのラグビー協会は、独立後も分裂しなかったのはなぜでしょうか? その理由を日本戦のために来日していた何人かのアイルランド人記者にも話を聞きましたが、「本当のところは分からないんだ」「政治的な理由」「スポーツに政治を介入させなかった」「ラグビーでは政治的なことは無視することを決めた」などと話してくれました。

アイルランド国歌「兵士の歌」はもともと英国からの独立戦争の際に歌われたもので、統一チームにはふさわしいものではありません。そこで、1995年のW杯よりアイルランド代表チームのラグビーアンセム「アイルランド・コール」が作られました。先日来日したアイルランド代表が国歌斉唱時に歌ったのもこの歌というわけです。国旗も同様に別のものが使用されています。

政治や宗教、異なる民族が絡む非常に複雑な問題ですが、国が分断された際も、ラグビーでは分断されることがなかったことは素晴らしいことですね。今年11月に発表されるW杯2023年大会のホストには南アフリカ、フランスとアイルランドが立候補しており、アイルランドはクローク・パークを使用することも表明しています。歴史的な背景もあり、アイルランドでの開催を願う声も少なくありません。こちらも発表が楽しみです。