menu

本田圭佑のクラブで活躍した分析官が歩んだ、異国でのサッカー人生

2017.08.18 / AZrena編集部

ウエストハムのユースアカデミー

 

近年は数多くの日本人サッカー選手が海外に活躍の場を移しているが、選手だけでなく“スタッフ”も海外進出を果たしている。

高校までサッカー選手としての道を歩んでいた岡田悟氏は、高校卒業と同時にイギリスに拠点を移し、プロチームの育成年代で分析官として活躍した。その後は本田圭佑がオーナーを務めるSVホルン(オーストリア)でキャリアを積んでいる。

日本からサッカーの母国に足を踏み入れた岡田氏が、いかにして分析官の道を歩んだのか。その功績を辿るとともに、現在取り組んでいる“新たな試み”にも焦点を当てた。

 

“何気ない会話”をきっかけに海外挑戦を決意

-まず、これまでのスポーツ経歴を教えてください。

小学校から地元・杉並のクラブチームでサッカーを始めて、高校まで続けていました。高校は専修大学附属高校で、ほぼ全員がそのまま専修大学に進学しています。

 

-サッカー一筋の生活から、どのように留学に至ったのでしょうか?

高校では地域のチームに入っていたんですが、3年生の時には専修大学以外の大学に進学することも考えていました。そこで、当時教わっていたコーチに「どうしようか迷っていて…」と相談したら、冗談半分に「留学とかありなんじゃない?」と突然言われて(笑)。留学の選択肢はなかったんですけど、その言葉を真剣に捉えて行ってみようかと思いました。

 

-その意思を両親に伝えた時のリアクションはいかがでしたか?

親は「面白いんじゃないか」という感じで応援してくれました。サッカーでは、僕は高3の時点でだいぶ背が低くて、このまま大学に行ってもフィジカルで苦労するだろうと感じていました。それだったら他の道に行ってもいいかなと思い、親にも相談して留学を決めましたね。

 

-卒業後は海外の大学に進学したのでしょうか。

高校を3月に卒業して、5月からまずはイギリスの語学学校に入学しました。そこから1年1カ月くらい、日本に帰ってきたりもしながら語学留学をしていました。もともとは11カ月間の予定だったんですが、12月になってその後の進路を考え始めた時に、大学進学という選択肢が出てきたんです。そこから最後の6カ月は、大学に行くための勉強に切り替えました。

 

-大学はどこへ?

イギリスのサウサンプトンに行きました。4大学くらいに入学希望を出して、返事が来たのがリバプールとサウサンプトンの大学でした。リバプールは昔からある有名な大学で、サウサンプトンは比較的新しい大学だったので、新しいほうに行きたいと思っていました。

あとは語学留学の時に、イギリスの南部で学んでいて、北部のリバプールだとイントネーションの違いもあるので、南部のサウサンプトンのほうが馴染みやすいかなと。サウサンプトンの大学を選んで、吉田麻也選手(2012年〜プレミアリーグ・サウサンプトン所属)には1度だけお会いすることができました。

 

-イギリスといえばサッカーの母国ですが、サッカーに関わる仕事がしたいという想いはありましたか?

僕自身ずっとサッカーをやっていましたし、イギリスでも少しプレーしていたので、その当時はコーチングくらいしか分からなかったものの、漠然とやってみたいとは思っていました。

 

-サウサンプトンの大学ではどのようなことを学んでいたのでしょうか。

フットボールスタディーというコースで、サッカーのコーチングや社会学を学んでいました。大学がグラウンドを持っているので、そこにみんなで行って、実際にプロチームで働いている講師のコーチングを見たり、実際にコーチングを実践したりしていました。社会学は歴史がメインで、サッカーがどこから生まれて、どう変化してきたのかを(※)3年間かけて学んでいました。

※イギリスの大学は主に3年制となっている

 

-サッカーの歴史を母国で学ぶのは面白そうです。

僕自身あまりサッカーがどこから来たのかは気にしたことがなかったんですけど、昔のサッカーはなんでもありだったそうです。街と街の戦争という話を聞いた時は面白かったですね。

 

-イギリスは北部の工業地帯のほうが強いチームが多いと聞きます。労働者が多く、階級的にもサッカーというスポーツが合っていると。

サッカーはワーキングクラスのスポーツだったので、北部の街はサッカーで発展していったんです。当時は土曜の15時に休みを作ってサッカーをやっていたので、その名残で今のプレミアリーグでも土曜15時キックオフの試合が多いです。僕はセミプロでプレーしていましたが、そこでも同じ伝統がありました。

 

-逆に、南部のチームはそこまでサッカーが盛んではない印象があります。

プレミアリーグにサウサンプトンがいて、今年はブライトンというチームも昇格してきて、だんだんと盛り上がってきてはいますけどね。それでもプロのチーム数だと、北部に比べて南部は圧倒的に少ないです。セミプロの全国大会でも、優勝するのはだいたい北部のチームです。

 

インターンとしてプレミアリーグの育成年代へ

-就職活動はどのように行ったのでしょうか?

どこのスポーツチームがどのような人材を探しているのかが書いてあるWebサイトがあって、気になるチームに履歴書と自己紹介のレターを送っていました。

 

-大学を卒業しても、自分から動かないと就職には至らないのですね。

大学を卒業するというのは、スポーツ業界に入るためのステータスにはあまりならないんです。面接に行ってもどこの大学かは聞かれないし、成績も気にされないので。経験がものを言うので、そういう意味では効果はあるんですけど、それ以上にコーチングや分析の資格を持っているほうが強いですね。

 

-分析にも資格は必要なのでしょうか?

分析の資格はあるんですが、なくてもできます。大学での勉強は、日本では結構いろいろなことをカバーするようなイメージですが、イギリスでは一つの分野を深く掘り下げていく勉強が多いです。

ちなみに大学を卒業するのはどちらかというと難しいと思います。サッカーというくくりで、軽い気持ちできている人も中にはいて、卒業する時には半数近くは大学を辞めていました。

 

-プロチームでの職員の募集は数多くあるものですか?

プロチームの職員募集はそれなりにあるのですが、大学卒業時の自分の実力や経験を考えると、可能性は全くなかったですね。そこから何カ月かやってみて、たぶん見つからないと分かっていたので、大学院に行くことを決めました。

イギリス南部のチチェスターという、サウサンプトンから2時間くらいのところにある大学院です。そこではスポーツパフォーマンスアナリシスというコースにいました。その大学院とパートナーシップを結んでいるプロチームもあるので、そこに面接に行くこともありました。スポーツだけでかなりコースがあるので、働き口もたくさんあると思いますね。

 

-そこからウエストハムに至るまでの経緯を教えてください。

その大学院では、『1年間はプロチームで働かなければいけない』というプログラムがありました。働くチームも自分で見つけないといけなくて、見つからないと入学はできないです。そこでウエストハムに応募して、インターンで分析官として働いていました。

岡田悟氏

エストハム・ユース所属選手のサイン入りユニフォームと岡田氏

-ウエストハムでは、どのカテゴリーを担当したのでしょうか?

U-18を担当していました。当時はカテゴリーがU-6からU-16、U-18、U-21があったんですが、今はU-21が廃止されてU-23ができています。U-18からがフルタイムでの活動で、選手はチームと契約を結んで、少しずつお金をもらえるようになります。

 

-育成年代から給与が発生するのは、日本との大きな違いですね。

イギリスでは16歳からプロ契約を結べるので、中にはプロ契約の選手もいます。プロ契約でなくても住宅を確保してあげたりと、サポートは手厚いですね。

 

対戦相手のビデオの“意外”な入手方法

-分析官としての仕事の流れを教えてください。

月曜日から水曜日は9時から17時まで働いて、木曜日は分析官の仕事は休みになりますが、大学院で9時から17時まで勉強していました。金曜日はまた9時から17時まで働いて、土曜は試合に帯同して、日曜は必要があればまた働くという流れです。

分析は自分のチームと、敵の分もやることがあります。試合の映像を撮って、分析して、選手にアドバイスを伝えるというイメージです。チームにもう1人分析官がいたので、アシスタントのような形でやらせてもらっていました。

 

-大学院に通いながらも、大学院での勉強は週に1回しか行わないのですね。

大学院での勉強以外は完全無給のインターンで、その形が今は結構多いです。大学の時はアルバイトを少しやっていたのですが、大学院ではその時間もなかったですね。

 

-分析官をやっている中で、印象的だったエピソードはありますか?

対戦相手の分析で、僕らは実際に相手の試合を観に行くことはないので、ビデオが必要になります。そのビデオはどう入手しているかというと、例えば次の対戦相手がチェルシーだった場合は、その前の週にチェルシーと対戦したチームの分析官に頼んでビデオをもらうんです。日本では絶対に渡さないと思いますけど、イギリスでは渡さないといけない暗黙の了解があるんですよ。

ビデオを渡すことで、分析官たちも相手について学べるし、選手たちもプロになったら必ず経験する相手の分析に慣れることができます。メール一つ送ればビデオを送ってくれますし、自分たちも他のチームから言われれば渡していました。ただトッテナムだけはものすごく厳しくて、渡してくれませんでしたね(笑)

 

トップチームでの挑戦を終え、日本での新たな取り組みへ

-大学院を卒業後は、本田圭佑選手がオーナーを務めるSVホルンに活躍の場を移したと聞きました。

イギリスでいろいろと仕事を探していて、最終的には労働ビザを下ろさないといけなかったんですが、それが難しくて。他の国も見てみようと思った時に、SVホルンのウェブサイトにメールアドレスが載っていたので、僕が編集した映像と履歴書を送ってみました。そうしたら雇ってくれることになって、すぐにオーストリアに行きました。

SVホルンのホームスタジアム

-SVホルンでは職員として働いていたのでしょうか?

またインターンとして1年間働きました。ただ、トップチームなので育成年代とは違って、当然勝つことが求められます。ウエストハムでは「試合前に掲げた目標が達成できたか」という分析だったのが、SVホルンでは「なぜ結果が出なかったのか」という違った分析に変わりましたね。

 

-結果が求められることによって、分析の方法も変わっていったのでしょうか。

他チームの試合を観に行くこともありました。SVホルンでは相手のストロングポイント、ウィークポイント、そしてセットプレーに注目してレポートを出しました。あとは自分たちのプレーしたい形があるので、どう選手を生かすかをコーチと話し合いながら、ビデオを作って選手に見せていました。

 

-現在は日本に戻ってきていますが、将来的にヨーロッパで再挑戦しようという想いはありますか?

実はSVホルンで働いている間に、インターンが終わったらイギリスに戻ることも考えていたんです。イギリスのワーキングホリデーは2年間あるんですけど、抽選で1000人くらいが当たるものがあって、それに応募したら当たっていて(笑)。イギリスに戻る予定だったんですけど、そう思っていた最中に(※)Catapult Japanから声がかかって、日本に戻って就職することに決めました。

※チームスポーツ向けに、GPSトラッキングシステムを開発している企業。世界で700チーム以上に利用されている。

 

-Catapult Japanでは、また違った形の分析が求められますね。

ウエストハムとSVホルンでは、技術や戦術の分析を主にやっていて、ビデオ分析だとオフ・ザ・ボールももちろん見ることになるんですけど、データ分析だとシュート数やパス数がメインになりますよね。ただ、サッカーの試合はオフ・ザ・ボールが全体の97パーセントで、そこのデータを見ずしてオン・ザ・ボールを見ていると、3パーセントしか見られていないことになるじゃないですか。

ずっと分析官として仕事をしていながら、Catapult Japanを含めフィジカル系のデータを取っている企業は知っていたので、そういったデータを混ぜながら、テクニックとフィジカルを融合させてアプローチできたら面白いとはずっと感じていました。Catapult Japanは、それが実現できるところではあると思います。

 

-将来的に日本サッカーに貢献したいという想いはありますか?

今後はフィジカルを学ぶ機会がたくさんありますし、学びながらいろいろなことを発見していくと思います。その発見に海外での経験を織り交ぜながら、最終的に何かしらの形で日本サッカーに貢献できれば嬉しいですね。