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語学は武器。日本語が導いたザック・バランスキーとバスケの出会い

2018.04.27 / 小田 菜南子

ザック・バランスキー

 

「スポーツは国境を超える」――。誰もが認める、このスポーツが持つ“力”に疑問を投げかけるのは、野暮というものかもしれません。しかし、国内リーグであっても外国人監督や選手の存在が当たり前になった今、コミュニケーションツールとしての“語学”の重要性を見過ごすことはできない時代になっているのではないでしょうか。

 

“スポーツ×語学”をテーマに、その関連性や語学を学んだことでスポーツ人生においてどういったプラス面が得られたか、などを様々な方に語っていただくこの特集。今回、お話を伺うのは、Bリーグに所属するアルバルク東京で活躍するザック・バランスキー選手。日本で生まれ育ったアメリカ国籍の彼が考える外国語との向き合い方、そしてバイリンガルプレーヤーであることのメリットとは?

 

日本語との出会いが、世界を広げてくれた

周りが宇宙人に見えた小学生時代

ゴルフ場の設計士だった父の仕事の関係で、生まれてから2歳までは栃木に、その後山梨に引っ越しました。それから一度アメリカに住んだこともあるのですが、10歳からはずっと日本で生活しています。

 

両親ともにアメリカ人なので、日本にいても家族の会話は英語オンリー。小学5年生の時にミシシッピ州から日本の小学校に転入したときは、授業が何にもわからず、苦労しました。

 

黒板の文字を見て、宇宙人の言葉なんじゃないかと思ったくらい(笑)。学校に外国人の生徒は僕だけで、英語が話せる先生もいなかったと思います。周りの友達は、興味を持ってくれて話しかけてくれるんですけど、どう返したらいいかわからないから結局ぎこちなく会話が終わってしまって、そこにもどかしさも感じていました。

 

そんなときに校長先生がマンツーマンで授業をしてくれて、小学1年生のひらがなや漢字のドリルから日本語を覚えていきました。最初は混乱することばかりでしたね。

 

漢字・ひらがな・カタカナの3つも文字があったり、同じ読み方なのに意味が違う言葉がたくさんあったり。「どう違うの?」って聞いても、なかなか理解できなかったです。毎日そうして校長室で日本語を勉強していたので、教室でみんなと一緒に授業を受けることはほとんどなかったかなと。

 

友達と話すのは音楽と体育の授業、あと給食の時間くらい。でも「おいしい」は親指を立てて「good!」と言えばわかってもらえましたし、徐々に会話が増えていって友達もできました。日本語の先生をつけるということはせずに、授業と友達同士の会話から日本語を吸収していきました。

 

日本史では答えが合っていても◯をもらえなかった

日本語は難しかったけど嫌ではなかったです。中学・高校と勉強のレベルが上がるにつれ、科目ごとの得意不得意はありましたけど、基本的に語学自体への興味はずっと強かったですね。

 

特に「音」に興味を持つようになって、漢字の読み方とか言葉のイントネーションをすごくおもしろいと感じるようになったんです。よく国語の授業で文章の音読がありましたが、他の人が読む音を聞いて自分の教科書にふりがなを振っていくのが結構楽しくて。友達同士の会話でも、よく発音の真似をしていました。

 

まあそれでも漢字とかはやはり苦手だったので、日本史のテストでは人名をカタカナで書いていました。読み方が合っていれば△はもらえるので。そんな“裏技”を使いながらも、結構真面目に授業を受けていましたよ。一番得意だったのは数学。もちろん英語も。教科書で、外国人と日本人の会話文とかあるじゃないですか。絶対にどちらか片方をやらされましたね。「じゃあザックがMark役ね」って(笑)

 

ザック・バランスキー

 

(ちなみにここで、外国人には超難問と言われている「3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした」という文章を読んでもらいました。“日”の読み方がすべて異なるので、日本語を勉強する人にとっては正しく読むのがとても難しいそうなのですが、ザック選手はすらすらと読んでいました。)

 

語学がもたらした多くの出会い

多分語学への興味の根本は、「同じ人間なのにどうして違う言葉を話しているんだろう」という子供の頃に感じた疑問だと思います。生まれた時から、家で親や兄弟と話す言葉と、外の世界で使われている言葉が違うという環境だったからか、僕の中で今でもそれは大きなテーマなんです。

 

日本語を習得したあとも、大学でスペイン語を勉強したこともありますし、言語学の授業も取っていました。その疑問に対する答えは自分の中ではまだ見つかっていないし、テーマが壮大すぎて、見つかるものではないのかもしれない。だけど一つ実感しているのは、言語の壁を越えた先にある「交流」が自分の世界を広げてくれるということです。

 

子供の頃、思うように自分を表現できなくてもふてくされずに日本語を勉強し続けられたのは、わかる言葉が増えると会話が増える、交流が増える、ということが面白かったんじゃないかと思います。

 

実はバスケを始めたきっかけも、友達に誘われたからなんです。

 

小学6年生の頃に長野へ転校したのですが、そこで出会った友達です。当時、まだ日本語は片言でしたけど、友達との会話には困らなくなっていました。僕が今バスケ選手になっているのは彼のおかげと言えます。バスケ用語は英単語が多いので、「パス」とか「ラン」とか簡単な言葉を使いながらコミュニケーションが取れたのも大きかったんじゃないかな。

 

最初はバスケが好きという以上に、そこで友達ができて、いろんな話ができるのが楽しくて続けていました。だからもし日本語を話せないままだったら、今ここにいないかもしれない。話せる言葉が増えることで世界は広がっていくというのを、当時から無意識のうちに感じていた気がします。

 

ザック・バランスキー

スポーツは国境を超えるのか?

相手の外国人選手が話す戦術を…

「スポーツは国境を超える」、つまりスポーツそれ自体が選手間の共通言語となって、コミュニケーションが生まれることは確かだと思います。僕自身、日本語がまだ得意じゃない頃にバスケに出会い、友達ができましたから。でも、言葉と言葉が通じたときには、きっと想像以上のものを得られると僕は思っています。逆に、相手の言葉が理解できないために失っているものも多いんじゃないかと。

 

たとえば2018年4月7日のU-16アジア選手権での日本対フィリピンの試合。日本は第4クォーター残り3分33秒の時点で10点ビハインドだったのですが、そこから田中力選手*が2本連続で3ポイントシュートを決め、同点に追いつく素晴らしい活躍を見せました。しかしその後フィリピンに2点を決められ、日本はU-17のワールドカップ出場権を逃すという非常に悔しい結果になってしまいました。

 

試合終了後に泣き崩れた田中選手に、何人かのフィリピン選手がやってきて健闘を称えるようなジェスチャーをしていたのですが、やはり言葉が通じないからかその様子は少しぎこちなく見えたんですよね。

 

ああいった試合のあとに交わした言葉というものは、きっと何年たっても記憶に残るものだと思うし、今後国際大会で再び一戦を交えるときのモチベーションをさらに高めてくれるかもしれない。もし彼らが言葉を交わせたら、どんな会話が生まれていたんだろう。僕はあのシーンを見てもったいないなと感じました。

 

*田中力:横浜ビー・コルセアーズ下部育成チームU-15所属していた選手(当時)

 

もちろん、もっとシンプルなメリットも多いですよ。アルバルク東京には外国人選手がいて、監督も英語を話すので、たまに僕がチームの通訳代わりになるときもあります。もちろん専任の通訳もいますが、試合中やハドルなど意思疎通にスピード感が必要な時は監督や外国人選手と、日本人選手の間に入ります。実際、試合中は結構英語が飛び交っていますね。

 

あとは、試合中相手の外国人選手が話している戦略がわかる(笑)。聞こえた内容をすぐ味方に伝えて、「次ここ来るぞ」と対策を打てるのは、僕みたいな選手にしかできないことだと思います。そうした利点が多いからこそ、周りを見ていて「もっと英語を勉強すればいいのに」と思うこともあります。監督が試合や練習中に叫んだ内容を「今なんて言ってた?」と聞かれることもよくあるんですが、自分で分かればそのほうが早いし、よりスポーツが面白いと感じると思うんです。

 

プロでも学生でも、バスケ選手であればNBAの映像を必ず見ますよね。その解説や選手インタビューをすぐに理解できればもっと勉強になると思う。
スポーツで世界を目指したいと思うなら、そのスポーツが強い国の言葉がわかるメリットは大きいと思います。

 

ザック・バランスキー

重要なのはコミュニケーションの量を増やすこと

「おすすめの勉強法は?」とよく聞かれますが、その言葉を話さざるを得ない状況に自分を追い込むのが一番早いのではないでしょうか。僕自身、日本語の学校に通うことはせずに、友達同士の会話のなかで日本語を習得していきましたから、それ以外の方法を知らないというのもありますが…。もちろん、最初はすごくストレスもかかります。僕もクラスの誰とも会話ができなかったときは辛かったです。

 

アメリカから日本に戻ると言われたときにもすごく反抗しました。絶対に無理なのに「自分だけはアメリカに残る!」って(笑)。でも、今思えばあのときはバカだったなと。あのままアメリカで一生過ごしていたら、きっと狭い世界しか知らずに生きていたんだと思います。あのとき日本に来たおかげで、バスケに出会い、プロになり、東京という世界でも有名な都市に暮らしている。だから最初は苦労したとしても、最終的には挑戦してよかったと思えるはずです。

 

僕はたまたま小さい頃から日本で育ったのでここまで上達しましたが、別にネイティブと同じレベルを目指さなくてもいいと思います。アルバルク東京の外国人選手だって、みんな日本語を流ちょうに話せるわけではありません。でも、よく日本人選手が使う言葉の意味を僕に聞いてきますよ。練習後に「オツカレ~」って言いながら帰ったり、僕がいないときにも他の日本人選手と一緒にラーメンを食べに行っています。

 

好きな音楽をシェアしながら、歌詞の意味を教えあうというのもよくやっていますね。外国語をマスターすることが先ではなく、相手の言葉を理解しようとすることで、コミュニケーションの量が増える、だから上達する、という順番が自然かなと感じています。

 

ザック・バランスキー

日本国籍をとらない理由

一方で、どんなに外国語がうまくなって、その国や人に親しんだとしても、自分のアイデンティティはゆるがないですね。僕はよく日本人より日本人らしいって言われるんです。日本語のイントネーションも自然に近いし、日本人と話すときには、頭の中で考えるときの言語も日本語です。

 

街で誰かにぶつかっても、「あ、すいません」って日本語がとっさに出てきます。よくどう切り替えているのって尋ねられますが、自分でもそれはよくわからない。もう15年以上も日本で生活しているので、マナーとか、謙虚さのような行動姿勢の部分でもだいぶ日本人の感覚に近いところがあると思います。食べ物の趣味も、日本人でもめったに食べないようなイナゴの佃煮なんかも好きだし、お寿司屋さんでは炙りえんがわを注文します(笑)。

 

チームメイトだけでなく、他チームの外国人からも「お前日本人だろ」っていじられますけど、そのたびに「自分はアメリカ人だ」って思っている。実は日本国籍を取ろうか迷ったこともあるんですけど、しなかった。それはたぶん、家族がアメリカ人だから。兄弟は僕ほど日本語が得意ではないですしね。だからどんなに外で日本語を使っていても、家に帰れば英語を話す。だから、アメリカには6年しか住んでいなくても、アイデンティティはアメリカなんです。

 

チームのプロフィールの『譲れないこと』の欄にも「国籍」って書いています。義務教育を日本で受けているので、Bリーグ規定では外国人枠ではないのですが、応援してくれる人には僕がそう考えていることを知ってほしいな、と思って。もちろん日本人らしいと言われるのは嫌じゃないし、むしろ嬉しいことなんだけど。なんでしょううまく説明できないですね…。きっとそれよりも、家族と一緒であることが大切なんです。

 

セカンドキャリアは、今までの価値観の延長にある

今思えば「働く」ということを考え始めたのも、両親がきっかけです。僕は生まれたときから何不自由ない暮らしをさせてもらってきましたけど、父親のビジネスが一時期うまくいっていなかった時期も知っています。だから家族に迷惑を掛けたくないという思いが強いんです。

 

元々、中学を卒業したら働こうと思っていたくらい。結果的に高校・大学とバスケを続けてプロになれましたけど、早い段階から「自立して両親を支える。そして自分の家族をつくりたい」と考えていました。その影響か、引退後のセカンドキャリアについてもすでに考え始めています。そのときを考えると、やはり英語と日本語を話すことが出来るというのは大きな強みだなとあらためて感じますね。

 

語学を使って、人と人との間に「交流」を生み出す仕事が理想です。たとえば通訳だとしても、ただ言われたことを訳すだけではなく、旅行先で現地の人と一緒に何かを体験するようなプランをアレンジして、コミュニケーションを増やすサポートをするようなイメージです。

 

僕がそうだったように、できるだけ多くの人が外国語を楽しんでほしいです。佐々木クリスさんのように英語でバスケを教えるというのもいいですよね。今はプレーヤーとして、チームの一員として、語学というスキルを活用していますけど、きっと引退後には新しい挑戦をするための武器になってくれると、信じています。