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長谷川太郎(元甲府)の夢は、「2030年までにW杯得点王を育てる」。

2015.09.28 / 森 大樹

長谷川太郎
 
柏レイソルユースからトップチームに昇格し、1998年にJリーグデビューを果たした長谷川太郎。2005年にはヴァンフォーレ甲府においてJ2日本人トップとなる17ゴールを記録し、同チームのJ1昇格に大きく貢献した。2010年に所属したギラヴァンツ北九州を最後にJリーグからは離れ、地域リーグの浦安SCに加入し、昨年はインドのムハンメダンFCでプレー2014年度限りで引退を表明し、現在はストライカーを育成するための「TRE(トレ)2030 Project」を進めている。

また、10月4日(日)には古巣・浦安SC(現・ブリオベッカ浦安)での引退試合が予定されています。

日本サッカーの課題である「ストライカー」を育成へ

――まず、現役を引退されてから、現在TRE(トレ)2030 Projectというスクール活動を行っていますが、どういった経緯で始めたのか教えてください。

自分はストライカーが育ってくると対峙するキーパーやディフェンス、パサーの技術も上がってくると思っています。だからこそ優れたストライカーの出現は今後日本のサッカーが強くなるためには必須だと思い、今回そういった選手を生み出すための活動を始めました。1月にサッカー日本代表がUAEに負けた試合をたまたまテレビで観ていた時も、解説の方が決定力不足で負けた、という話をしていましたね。でもそれはずっと言われ続けていることです。

――日本サッカーにおいて長年言われている課題ですね。

なぜそうなのかを自分なりに考えた時に日本には相手に気を遣う文化があって、それがプレーにも出てしまっているところがあるのではないでしょうか。でもだからといって文化を変えるとか、積み上げてきた今の日本のサッカーを否定するとかではなく、ストライカー自体を生み出す雰囲気をつくっていく必要があると考えました。そのために期限を決めて、誰かが決断して自ら動くことが大切だと思い、TRE 2030 Projectをスタートすることにしました。

2005年にJ2日本人トップのゴール数をマークしたこと、そして浦安SC(現・ブリオベッカ浦安、以下浦安)で指導する中で、特にシュートのことについては自分も他の素晴らしい選手・指導者の方と話し合えるぐらい考えてきたことに気付きました。「良い意味での勘違い」かもしれませんが、それがよかったのだと思います。

――長谷川さんにとって夢を叶えるためには「良い意味での勘違いをする」ということがポイントだったということですね。

そうですね。夢は自分でそういった勘違いができるくらいでないと達成するのは難しいと思います。選手として最後に僕が所属先もないまま海外に行ったのも、理由はないけれど自分に自信がある、という勘違いをしていたから挑戦することができましたし、結果的に実際にインドで契約を結ぶこともできました。ただ挑戦する理由はどうであれ、まずは自分が覚悟を決めることが重要です。そうすることで初めていろいろな方にご協力頂けるようになっていき、実現できるのだと思います。今回のストライカーを育成する活動も同様ですね。

自分はサッカーがあったから成長できました。そんなサッカー界に恩返しがしたいですし、する必要があると感じました。一度社会人になってからまたサッカーに戻ってきたのもこちらの方が貢献できることが大きいと思ったからです。当初はサッカーから離れたところから貢献していくつもりでしたが、現役引退した今だからこそできることも多いと考えたんです。

――それでは現在の長谷川さんの今後の夢や目標というのはどういったことなのでしょうか。

2030年のW杯において、日本人得点王を輩出することです。今スクールで対象としている子供達が20代半ばになっており、ちょうど選手として活躍する上でいい年齢になっていますし、今のうちから目標を持って力強くやっていけば、他の部分にも役立つでしょうね。

――3月から一般社団法人を立ち上げて、活動をされているということですが、具体的にいつまでにどのようなことをしていく予定なのでしょうか。

今自分は2030年に日本人がW杯で得点王を取るためにプレーだけでなく、ケアなどの部分も含め、何ができるかを常に考えています。

同時にゴールに対しての引き出しをいろいろな選手に聞きながら、それを記録することで後世に残していきたいと考えています。

今回この活動を一緒に始めたGKコーチと共にゴール前に特化した練習をスクールで行ったり、得点力に悩む部活やクラブチームのお手伝いをしたりしていきたいと思います。

今後ストライカーコーチとしていろいろなところに現役選手や元選手が行って週1回でも教えられれば、ゴールへの意識は高まっていくと思います。

あとはストリートサッカーの文化を入れていけるとよりいいですね。サッカーだけでなく、ビーチサッカーやフットサルを一緒にできると競技における感覚がより磨かれていくのではないでしょうか。

TRE2030

――聞いていても楽しそうですね!

楽しむ、ということが非常に大事です。サッカー、ビーチサッカー、フットサルなどのトップ選手を呼んで、競技の壁を越えたチームを組み、それぞれの競技をやったりすれば、面白いと思いますし、実際に観に来る人もいると思います。それがフットサルやビーチサッカーの知名度を上げることに繋がりますよね。

自分はプロになる前からずっと治療家の方にお世話になっているので、ケアもすごく大切だと考えています。なので、そういったところとも連携していければいいですね。

――様々なスポーツ、そしてプレーだけでなくケアも連携して、総合的に育てる取り組みですね。

はい。さらに本人だけでは無いんです。

フットボールフィットネスという活動をしていこうと思っていますが、これはご家族にも実際にサッカーに触れて頂くことで、子供達や競技への理解と健康増進に繋げるというものです。

例えば母親が仮にプレーについて子供を褒めたとしても、そもそもサッカーという競技自体を分かっていなければ、その言葉から生まれる喜びは半減してしまいます。

また、子供達の母親には元気でいてもらうことも重要です。そこで全身運動に効果的なサッカーの運動をしてもらいたいのですが、今までやったことがないのにいきなりボールを蹴るわけにもいきません。そこで関連する体幹トレーニングなどを含めたメニューを取り入れながらサッカーに触れてもらうことで、子供がやっていることがいかに難しいかを感じて頂くことができますし、それが競技への理解にも繋げていきたい、ということです。知識として蓄積されればご家庭で子供へアドバイスをすることも可能になります。さらに興味を持ってもらうことができれば、食事の改善や父親の健康管理など、サッカーを通してできることがどんどん広がっていくと思います。

身長が小さくても活躍できるストライカーを

――スクールの中でどのようなFWの選手を育てていきたいか、その理想像を教えてください。

自分も身長が小さかったので、それでも活躍できる選手を育てていきたいです。ただあまり身長の大小にはこだわらず、とにかくゴールを狙える選手を生んでいくことが一番です。体の強さよりもしなやかさを持っていることがベストで、その上で動きや体の使い方などを教えていきたいと考えています。そして選手には自分なりの得点スタイルを確立していってほしいです。

TRE2030

――実績をお持ちの長谷川さんの言葉だからこそ、説得力を感じます。

――TRE(トレ)という名前にはどのような意味が込められているのでしょうか。

TREという活動にはFWに得点を「獲れ」、GKにボールを「捕れ」、そして自分の、日本の夢を掴み「取れ」、という意味が込められています。ちなみにTREはイタリア語で「3」を指します。

得点を取った、もしくは阻止したことが本人の自信にもなりますし、家族でするスポーツの会話の中でもおそらくその部分が一番明るい雰囲気になって、笑顔が生まれる話題だと思います。TREの中でそういった自信と笑顔を生み出していければいいですね。

――ところで長谷川さんはこうしてお話していてもすごく物腰が柔らかく感じます。何か意識されていることはありますか。

逆に固く接することができないんですよ!あとは現役の時もこんな性格だったのか、とよく聞かれます。FWらしくないので、教える時も説得力がないと言われてしまうことがあるくらいです(笑)

でも僕は今まで自分を見てきてくださった指導者の方のように接しているだけなんです。厳しいことも言いますが、サッカーを楽しませてくれて、ずっと見守るような姿勢で皆さん教えてくれたので、僕もそのような感覚でいます。

やはりサッカーを真剣に楽しんでいないといいイメージやいいプレーは生まれないと思います。切羽詰まっていることもありますが、そんな時だからこそ、自分に言い聞かせるようにして、少しでもプラスの方に考えていかないと面白いものは生み出されません。

――長く現役生活を続けてきて、様々なことがあったと思いますが、その中で一番嬉しかったことを教えてください。

ゴール1つ1つがすごく嬉しい瞬間でした。でも1つ挙げるとすれば、甲府に所属していた2004年6月の札幌戦で決めたゴールです。その月で契約期間が満了する予定でした。しかし0-1で負けていた後半20分に交代で投入され、他の選手との連携から1点を返し、後半41分にはたまたま高く上がったボールをジャンピングボレーシュートを打ったところ、それがゴールになったんです。その活躍のおかげで契約延長になり、プロ生活が伸びることになりました。あの一発がなかったらサッカー選手として終わっていたでしょうね。一本のゴールで僕の人生が大きく変わったんです。2006年シーズンからのJ1昇格の舞台にも、もしかしたら自分はいなかったかもしれません。

だから子供達にも一本のシュートが良くも悪くも人生を変えることになるかもしれない、ということは伝えています。

インドでの経験から感じたこと

――長谷川さんはJリーグだけでなく、浦安SC(社会人リーグ)やインドでもプレーされています。Jリーガーとして引退することもできたと思うのですが、なぜ現役にこだわったのでしょうか。

J2からJ1への昇格、JFLからJ2への昇格など、本当に様々な経験をさせて頂いてきたので、社会人クラブチームの浦安に入る前は止めることも考えていました。

実は浦安に行く前からタイやシンガポールなどの海外からのオファーもあったんです。でも日本にいないとJリーグには戻れないでしょうし、だからといって浦安もJ参入の基準を満たしていないと考えた時に、頭の中に引退の文字がよぎりました。

ただ、子供達に教えている時に、ふと自分はサッカーでやり残したことはないのか、と思ったんです。確かにJリーガーとして復帰するには年齢的にも厳しいのは分かっていましたが、諦めた形で止めるのも嫌でした。ちょうどその時に自分は海外に行きたかったことを思い出したので、挑戦することを決めました。もちろん家族には、最後だからやらせてほしいと伝え、説得しました。

――ご家族の方もいきなり海外に行くと言われたら驚きますよね。

何とか家族の了承を得て、まずはタイへ渡ることにしたのですが、当然現地のチームに全くあてはありません。とにかく行けば何とかなると思っていたので、着いてからは練習場に行ったり、人に聞いたりして、いろいろ探し回りました。しかし既にどこも選手枠が埋まっていたんです。もちろんその間は練習もろくにできないままでした。

――時期的な問題もあったわけですね。

そんな中、チェンマイに行けばまだ選手獲得の話があるという情報を聞いたので、チームに連絡を取り、現地に向かいました。その日は練習試合があるということで準備をしていたところ、チームのコーチから「お前は誰だ?」と声をかけられました。本当は練習参加させてもらうことになっているはずだったのですが、どうやら現場には連絡が行っておらず、結局参加させてもらえませんでした。でもたまたまチェンマイに名古屋グランパスが来ていて、当時の監督である西野朗さんなど、知っている方が多くいらしていました。そこで所属先を探していることを伝えたところ、対戦相手のチームに一緒にお願いをしてくれて、練習試合に出してもらうことができました。しかしやはり練習不足からなのか、全然動けなかったんです。

――練習不足のままで、いいパフォーマンスを出すのは難しいですよね。

めげずに次の日にも他のチームに売り込みに行き、あるクラブでは練習試合でいい動きができたおかげで、練習参加の許可ももらうことができました。しかし、同じタイミングでインドのチームからもお話を頂くことになります。そのチームは映像なども既に見ており、自分に興味を持っていて、アジア枠が空けているということでした。インドは給与未払いが起こるかもしれないとも聞いていましたが、最終的に行くことを決めました。ちなみに家族にはインドやインドネシアには危ないので、行かないでほしいと言われていたんですけどね。ただカレーが大好きな僕の中ではグリーンカレーは食べ飽きたから、インドカレーを食べに行く!くらいの感覚でした(笑)

――危ないと言われていたインドに実際に降り立ってみて、いかがでしたか。

まず、契約期間は3ヶ月だったので、それが終わった後に引退しようと考えていました。

インドの空港に初めて降り立った時は予想以上にすごいところで本当に驚きました。夜中の3時頃に空港に着いたのですが、手続きに長く時間がかかったり、空港を出た瞬間にインド人に囲まれたりもしました。野良犬も多いし、道もガタガタでとんでもないところに来てしまったと感じました。着いたホテルも牢獄みたいでしたね(笑)

――インドの洗礼を受けたんですね(笑)

現地に着いたその日は練習がないと聞いていたので、ホテルで寝ていたところ、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえるんです。渋々ドアを開けてみるとチームの人がいて、これから練習があると言われました。仕方なく支度するために顔を洗ったところ、どうやらその水が汚かったようで、結局目がほとんど開けられない状態で練習見学に行くことになりました。

しかもグラウンドに行って練習を見ていたら、いきなりスパイクを履くように指示されたんです。でもさすがにそこまでハードなことはしないだろう、と思っていたら紅白戦をやっていて、出ろと言うんですよ。4時間ほどしか寝ておらず、朝食も食べていない上にノーアップで試合に出たら、当然まともにできないです。でも何とか乗り切って契約できたという感じです。

――インドの選手はどのくらいの金額で契約しているのでしょうか。

いい条件の選手は月に100万円ももらっている人もいます。自分は途中からでしたし、ハーフシーズンの契約だったことに加え、練習でのコンディションの悪さからさらに条件が悪くなりました。

――先ほどのような状況であれば、本来の力が出せないのも当然ですね。

――そのような苦労をして、最後に海外でプレーしたことでどのようなものが得られましたか。

昔から現役の最後は海外で終えたいと考えていました。何でもそうですが、一度それから離れてみないと分からない良さや大事なものがあると思います。今回サッカーを止めて離れている間にも、警備員や整骨院のアルバイトをしてみたりしました。どれも一度外からサッカーを見てみたいから始めたことです。

――客観的な視点でもう一度見直すことで見えてくるものがあるということですね。

そして日本からインドに行って感じたのは、普段僕らにとって当たり前になっていることが当たり前ではない世界が存在しているということでした。感じたことをふまえて、例えば今子供達には食事の際の「いただきます」の大切さを伝えるようにしています。海外では鳥などは捌くところから見られるようになっていますが、日本ではなかなかそういったことはしないので、命について考える機会がないわけです。一見すると残酷なようにも思えますが、それを見ることで、作ってもらった人への「いただきます」から命を「いただきます」という意味を考えるようになると思います。

他にもインドでは家がなくて外で寝ていたり、言葉を話せなかったりする子供達がいて、そういう子は働ける年齢になっても、できる仕事が限られてしまいます。一方で日本ではまずそういうことはないので、ありがたいことです。

あとは海外でも自分が想いを伝え続けていけば、協力してくれる人がいるというのを学ぶことができました。

長谷川太郎

――10月4日に引退試合が開催される予定となっていますが、クラウドファンディングでその資金を集められていますね。集めることになったその経緯を教えてください。

昨年末、浦安SCはJFLに昇格できるチャンスを逃してしまい、みんなすごく落ち込んでいました。そこで現役選手とOBがそれぞれチームを組んで、真剣勝負をするような機会をつくり、それを自分の引退試合という形で行えば人も集まってくれるだろうと考えました。同時に浦安を盛り上げることにもなります。

今回、これだけ大きな規模で開催できることになったので、より多くの方に引退試合について知ってもらいたいですし、自分も皆さんに恩返しできる機会にしたいです。しかし、そのためには活動・運営費がかかってしまうため、クラウドファンディングでお願いすることにしました。

呼んでいる選手・OBの方も今の子供達には分からないかもしれませんが、その親世代の方々であればみんなが知っている人に来て頂く予定になっています。このイベントを楽しんでもらうことを通して、自分がいた浦安というチームがこれだけ温かくていいところだと感じてもらうことが、一選手として最後に自分ができる恩返しだと考えています。

――最後にこれからプロを目指す選手に向けてメッセージをお願いします。

まずはシュートにおける駆け引きをうまくできるようになってほしいと思います。そして自らが点を取ることが自信に繋がります。その過程を考えること含め、サッカーのプレーにおいてだけでなく、人間として自信を持つための武器を選手達にはつくっていってほしいと思います。