先輩の背中を追いかけてー。亡き父への誓いを胸に新主将が法政を頂へと導く。

2017.03.27 荒井 隆一

昨年11月、法政大学野球部主将に日大三高(日本大学第三高校)出身の3年生・森 龍馬が就任した。

高校時代には1年生で夏の甲子園で全国優勝を経験し、3年最後の夏には主将としてチームを3年連続となる甲子園出場へと導いた。卒業すると花の東京六大学・法政大学へ進学し、2年時より副将を任され、今年度主将を務めることになった。

これだけを見ると野球のエリート街道を歩んできたように見えるが、その裏には大きな怪我や不運などがついて回ってきた。自分自身の能力を冷静に分析し、卒業後は社会人野球に進む予定の彼がこれからも野球を続ける理由を聞いてきた。

小学5年で父親の死を経験し「悪ガキ」を卒業

野球を始めたきっかけは野球好きの父親と3つ年上の兄の影響から。兄の試合を見に行った際に、自分も試合に出たいと駄々をこねたことから、野球チームに入ることになった。

小学4年までは自身でも「悪ガキだった」と語るが、ある出来事をきっかけに気持ちの変化が芽生えたという。それは小学5年の時に訪れた野球好きの父親の死だ。

「結構突然といいますか、病気だったんですけど、何が何だかわからなくて。でも兄と自分が野球で頑張って、母親や支えてくれた人たちを喜ばせてあげたい」と子どもながらに思ったそうだ。

それから野球に今まで以上に真剣に取り組んだ森少年は名門・日大三高に進学し、わずか入部4ヶ月で夏の甲子園で優勝を経験することになる。1年生ながらベンチ入りし、準決勝では代打で出場して見事にヒットを放った。

ネクストバッターサークルでは極度の緊張状態にあったようだが、思いきりの良いプレーを行えた要因を「打席に立った瞬間に『俺甲子園で野球やっているんだ』と楽しくなってきて初球から振りに行きました」と振り返る。

1年生らしからぬ精神力の強さをプレーで示した一方で、この時の優勝は素直に喜んでいいものなのか、複雑な心境だったと話す。

「入って3、4ヶ月でこんな思いを味わっていいのかなと思いました。(メンバーから)外れていた先輩がいたので少し後ろめたさというのはありました」

次は自分が中心となって、チームを甲子園に導きたい。その想いを胸に甲子園での初安打、優勝という経験の後も努力を続け、着々と力を付けていった。

翌年、主力メンバーとして迎えた夏の甲子園に初戦で敗れ、新チームになると主将に任命されている。しかし、就任してすぐの練習試合で長期離脱を余儀なくされる大怪我に見舞われることになる。

 

主将就任直後に大怪我。最後の夏に間に合うのか。

「フェンスに突っ込んでしまい、足首を脱臼骨折してしまいました。まだその時に手術をした傷跡が残っています。足の骨というのは2本が組み合わさってできているんですけど、その両方を折ってしまい、ぶつかった時に見たら足が反対側に向いていました。骨も出ていたりして、すぐ病院に行って脱臼を直してから手術を受けました。自分の足がそんなふうになっているのを見るのはショックでしたね。」

そこから長い治療・リハビリの日々が始まることになる。3年最後の夏に間に合うかは不透明なまま。それでも復帰に向けて頑張ることができたのは支えになってくれた家族や監督、チームメイトであった。特に日大三高の小倉全由監督からは『夏はお前が引っ張るんだぞ』と言われ、「その言葉で絶対に諦めるわけにはいかない、と頑張ることができました」と話した。

果たして森は3年生最後の夏に何とか間に合わせている。

「最後の夏の大会に出るために3年間やってきたので。監督を始め、コーチ、チームメイト、支えてくれたみんなが怪我をしてから助けてくれたので、その人たちのためにもなんとか自分が引っ張って甲子園に行くと思っていました」

怪我の影響は残っており、決して万全の状態というわけではなかった。患部をテーピングで固く固定しながらのプレーであったが、彼は満身創痍の状態でありながらも主将としてチームを引っ張り、3年連続の夏の甲子園出場を果たした。

最後の夏が終わると森はU-18世界選手権のメンバーに選出されている。当時のメンバーは松井裕樹(楽天)、森友哉(西武)など後にプロ入りしている選手も多い。

特に印象深かった選手を尋ねると、「山岡泰輔のスライダーはすごかったです」と昨秋オリックスからドラフト1位指名を受けた右腕の名前を挙げた。

自身にとって初めての国際大会となる世界選手権は決勝でアメリカに敗れ、準優勝。

「アメリカは投げて打つだけなのかなと思っていたんですけど、試合前の練習を見てもピッチャーのタイミングに合わせてダッシュをするとか、バント練習をしたりとか、結構細かいところまでやっていました。」

この大会を通して、アメリカ野球の意外な繊細さに対する驚きを感じつつも、「台湾、韓国に勝てて、日本の野球は通用するとも感じましたし、やっていることは間違っていないんだなということは思いました」と日本の野球の形への手応えを、身を以って得た。