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オーストラリア代表を支えた日本人・今矢直城が語る豪州サッカー事情

2018.02.26 / AZrena編集部

今矢直城氏

 

2006年のAFC(アジアサッカー連盟)加盟以降、アジアの強豪として君臨し続けているオーストラリア代表。

 

日本の“宿敵”とも言える彼らは、昨年のW杯アジア最終予選でも日本と同組で対戦した。その際に、オーストラリア代表の一員として日本の分析を担当していた人物がいたことをご存知だろうか?

 

オーストラリアやスイスで選手としてプレーし、引退後は日本で指導者の道を歩んでいる今矢直城氏。2018年より横浜F・マリノスの通訳となった彼のその経緯と、オーストラリアの知られざるサッカー事情に迫った。

(取材日:2017年12月22日)

 

20代後半で選手を引退し帰国。そして日本での改革

ーそもそも、今矢さんとオーストラリアの接点はいつ頃まで遡るのでしょうか。

移住をしたのは親の仕事の関係で10歳の時でした。その後私は現地で運良くプロになる事が出来、3、4年間オーストラリアでプレーをした後、スイスでトライアウトを受けて合格し、入団したチームでUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)に出場しました。自分の甘さもあり、僅か1年で契約解除となってしまい、オーストラリアに戻ってきました。そこからはAリーグ(オーストラリアのトップリーグ)のチームでもプレーをしていたのですが、ヨーロッパに戻ってもう一度挑戦したいという思いは常に心の中にありました。

 

27歳という歳でしたが、ダメもとでドイツに行って3部リーグのクラブのテストを受けると、これまた運良く入団することができました。1年近くはプレーをしましたが、自分の限界を肌で感じそこで引退する事になりました。
その当時28歳だったのですが、選手の道を進んで行くより、いずれやろうと思っていたスクール事業に本腰を入れたいという思いが強まり日本に戻ってきました。

 

18年間も離れていた日本は右も左もわからなく、試行錯誤しながらも2009年に東京で英語とサッカーを同時に学べるスクールの仕事を始める事が出来、そのご縁で早稲田ユナイテッドの監督も務めさせて頂きました。

 

ーそこから、オーストラリア代表における日本のスカウティングを務めることになったのは何故なのでしょう?

オーストラリアでは何人か自主練仲間がいたのですが、その中の1人にピーターと言う友人がいました。そのピーターが当時のオーストラリア代表を率いていたポステコグルー監督(現 横浜F・マリノス監督)と一緒に仕事をしていたのです。彼はその後オーストラリアU-17の監督を務めていて、その前にA代表のアシスタントコーチでした。 現在は横浜F マリノスでポステコグルー監督の右腕を務めています。

 

彼から「今度、日本代表の試合を観に行ってくれないか?」と相談が来て、感想を教えてほしいと言われました。選手やチームの特徴をまとめて書いて送ったのですが、これがかなり気に入ってもらえたんです。
そこから正式に仕事としてやらないかという依頼をもらいました。

 

ー日本戦は、国内の試合はすべて観に行っていたのですか?

基本的に国内での試合はすべて観に行っています。もちろん試合会場ではオーストラリア代表のスカウトとして来ていることを告げています。

 

ースカウトの視察を許可しなければならないのでしょうか。

そうですね、国内だけでなく日本代表のアウェーでの試合を視察することもありましたが、事前に報告しているのにも関わらず国外は対応が違います。明らかに警戒されて、スマートフォン以外の物をすべて取られたりします。

 

オーストラリア代表には日本だけでなく、サウジアラビアやタイ、UAEなどを担当するスカウトもいました。

 

豪州におけるサッカーの立ち位置

ーオーストラリアはラグビーやクリケットの印象が強く、Aリーグはここ数年で伸びてきたイメージがありますが、いかがですか?

実はAリーグ自体はそこまで伸びてないと思っていて、むしろ昔のほうが熱はあった感覚があります。オーストラリアではサッカーは移民のスポーツでした。ビドゥカやキューウェル、ブレッシアーノなどの質が高い選手がいました。そのような選手が生まれた1つの理由として、クラブによってイタリア系、クロアチア系、ギリシャ系など、移民のクラブがたくさんあったんです。ただ、Aリーグはそれらを除こうとした働きもありAリーグと言う新しいリーグが作られました。

 

ーなぜそういったチームを排除することになったのでしょうか?

具体的な真意はわからないですが、野次や喧嘩、紛争などの問題が多少ありました。当時はそういうチームがいたからこそ移民の選手たちもトップで活躍できましたが、今は移民の選手たちが行き場を失いかけています。

 

移民のクラブがすべてAリーグの下のカテゴリーになってしまい、Aリーグの質が最大限に持っていけているかどうかと問われると微妙ですね。

 

ー2006年のW杯では錚々たるメンバーがいて、ベスト16に進出していましたね。

あの時のメンバーは、日本でいう(※)JFAアカデミーのようなところがオーストラリアにもあって、そこの出身選手ばかりだったんです。みんな同じ環境で育ってきていますし、優秀なエリートが揃っていました。プレミアリーグやブンデスリーガのスタメンクラスばかりでしたし、ケーヒルがベンチスタートなくらいでしたから。クリナという選手は主力でチャンピオンズ・リーグでベスト4にも進出していましたね。

 

※JFAアカデミー・・・日本サッカー協会が2006年から創立したエリート教育機関。

 

今矢直城氏

 

マリノスの変革、そして日本サッカーの指導者改革へ

ー昨年(2017年)8月の日本対オーストラリアでは、今矢さんが予想した豪州代表のいくつか的中していました。

4-3-3というフォーメーションで来ることは予想通りでした。ウイングの選手のプレスの掛け方や、井手口陽介の先発起用も。最終的に穴になりそうな選手は誰も入れてこなかったという印象でした。

 

やはり代表チームはクラブチームではないですし、結果が求められます。どれだけ選手が成長しても、試合で使えない選手は外さざるをえないですし。クラブチームはそこで外すことはなくて、1年間このメンバーでやると決まった以上、どうにかして選手を成長させないといけないですから。

 

今のポステコグルー監督はクラブチームを指揮するほうが好きなのかなと思います。代表チームのように、目先の結果が重要視されることや、メンバーを入れ替えてやっていくことに少しモチベーションの低下があったのかもしれません。

 

ーW杯出場が決まった後に、ポステコグルー監督が電撃辞任した裏側には何があったのでしょうか?

そこの本当の理由はまだ明かされていないです。ただし言える事は代表の監督を辞めないとクラブチームからオファーもなかなか来なかったでしょうね。

 

ーその後に横浜F・マリノスからオファーがあったのですね。

中国からも莫大な金額のオファーがあったようですが、シティ・フットボール・グループの関わりや、彼も将来的にはヨーロッパでやりたいという願望を見据えると日本にも興味があったのだと思います。

 

マリノスの監督就任決定後に監督本人から僕へ通訳をしてほしいと連絡があり、僕自身も将来的に日本やヨーロッパで指揮をしてみたいと考えていたので、同じ夢に向かっている監督のもとで学びたいと思いました。

 

ヨーロッパで活躍できる日本人指導者を

ーポステコグルー監督は、Jリーグにどのような印象を抱いているのでしょうか。

彼は2009年から3年間ブリスベン・ロアーを率いていて、国内からかなり評価が高かったのですが、そのチームを上回ったのがJリーグのFC東京でした。

 

2012年にアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)で対戦して、4-2でFC東京が勝利したんです。そのとき、ポステコグルー監督は日本のサッカーに良い印象を抱いたと思います。

 

ーマリノスといえば守備的な印象がありますが、スタイルが変わる可能性も十分にあり得るのでしょうか?

変わると思いますし、もちろん僕が監督の意思を伝えていかなければなりません。選手も生き生きとやってくれるでしょうし、観客から見ても「マリノスは変わったな」と言われるようなサッカーを目指しているはずです。

 

ー最後に、今矢さんご自身の今後の目標と、日本サッカーに貢献していきたいことを教えてください。

子供たちには、まずはサッカーを通して人間的に大きくなって選択肢を増やしてあげたいと思っています。プロサッカー選手を断念したとしても、英語のスキルを活かしたり、一流企業に就職したりと、違った選択肢を持てる人材を育てていく活動をしています。

 

そして自分が学んだ知識や経験で日本サッカーには必ず貢献したいと思っていますし、どこかのクラブチームで監督をやることも夢の一つではあります。将来的には自分の語学力を活かしてヨーロッパで活躍したいという想いもありますし、それができないのであれば、ヨーロッパで活躍できる指導者を育成したいですね。

 

プレミアリーグやブンデスリーガで指揮している日本人監督を見てみたいですし、そこに何かしらの還元ができれば嬉しいです。もちろん、自分自身が目指さないと何も説得力がないので、だからこそ今回マリノスの通訳のお仕事を引き受けました。

 

どんな仕事でも、自分の100パーセントを引き出してくれる仕事が理想だと思います。今の仕事にはそれをすごく感じますし、夢に一歩近づくどころか、一歩以上の加速があるかもしれません。だからこそ、今自分が身を置いている環境を大切にしていきたいです。