安床エイト&安床武士。インラインスケート界に君臨する「安床ブラザーズ」とは?
安床エイト、安床武士からなる「安床ブラザーズ」。これまで世界100タイトル以上を獲得し、その名を世界に轟かせる兄弟だ。競技界の頂点に立つ2人が見すえる未来とは? 本人たちに話を伺った。
安床エイト、安床武士からなる「安床ブラザーズ」は今まで世界の舞台で100以上のタイトルを獲得してきた。その中にはエクストリームスポーツの最高峰・XゲームズやアジアンXゲームズでの複数回優勝を含む。現在は競技そのものの未来を背負う立場として、選手をしながら普及活動にも取り組んでいる。
両親の影響で始めたインラインスケート
――インラインスケートを始めたきっかけを教えてください。
エイト:両親がプロスケーターだった影響です。だから子供の頃から何か他のことをやるという選択肢も余裕もありませんでした。いつもヘトヘトになるまで練習していて、休み時間も遊び回る元気がないくらいです。練習自体も夜遅くまでやっていたので、その分学校で寝ていました(笑)それでまた学校が終わると施設に練習しにいくというような生活を送っていましたね。
武士:僕もそんな感じです。他に人よりできるものがあればそちらをやりたくなったかもしれませんが、何をやっても人並みにしかできなかったですからね。むしろ他の競技をやればやるほどスケートに対する自分の中での特別な感情が際立っていったように思います。
――スケートの魅力を教えてください。
エイト:それを表現するのはなかなか難しいですね。僕らの場合、格好良いとかそういう魅力を感じて自発的に始めたのではなく、気が付いたらやっていましたから。でも、だからこそ強くなれたのかもしれません。
好きの反対は嫌いなわけですが、別に好きで始めたわけでもないので、辞めたいと思うほど嫌いになることもないんです。スポーツという意識を持ってやってきたわけでもありません。僕らにとって滑るのはすごく自然なことなんです。今は仕事ともリンクしてきていますし、スケーティングをうまくなることが人としての成長に繋がると考えてやっています。
武士:たしかに改めてスポーツとして意識してやったことはないですね。子供の頃は父がショーをやるために組んでいたチームに混ざってやっていました。そこの大人達が友達、みたいな感覚だったので、相当失礼な子供だったと思います(笑)でも大人に囲まれてやることが楽しかったんです。
僕らが滑り始めたのはインラインスケートが日本に入ってきてすぐのことだったので、大会のために練習するようになるのは実は少し後になってからなんですよ。あくまで初めは父がやっているショーのために練習していたということです。そのおかげか人前で滑ることに関しては小さい頃から強かったように思います。
幼いころの2人
――どのようにして様々な技を習得していったのでしょうか?
エイト:海外で行われている大会のビデオを見ながら、次は何をやってみるか相談して練習していました。やり方も分からず、教えてくれる人もいないので、ただただ手探り状態ですけどね。
世界大会が行われたという情報が入ってくるようになってから、僕らもそこに挑戦すべく、ショーから競技向けに練習を変えていきました。ただ、そこからが恐怖心との戦いになります。身を守るために上達しなくてはいけなかったんです。
武士:ショーをやっているうちはまだみんなで楽しくワイワイしながらの練習なのですが、1995年に初めて大会に出ることになり、それに向けて取り組むようになってから一気に変わって楽しくなくなりました(笑)その時期から徹夜での練習が始まりました。
海外に行くとなるとお金もかかりますし、いろいろなものを背負って行くことになるので、父は熱が入っていたのでしょう。しかし、その熱が当時の僕らにとっては押し付けているように感じられました。僕が小学2、3年生で兄が小学5、6年生なので、そう感じても無理はないですよね。
ただ、まだ当時はノウハウもない競技で、練習方法も分からない中で父もがむしゃらにやっていたのだと思います。僕らを指導しつつも、これでいいのか迷いながらやっていたのだと、今になって分かります。
「同じ大会に出るということはスケート場でケンカしているようなものですからね(笑)」
――お二人はそれぞれ違ったスタイルで滑っています。武士さんは高いエア、エイトさんは鋭いツイストを得意とされています。
武士:昔から高く飛ぶ人に憧れがあって、自分もそれになりたい一心で今も練習しています。
エイト:そうですね。僕は回転系の技が得意です。
――お二人の中で意図してそれぞれ違った特徴を伸ばしていったのでしょうか。
エイト:元々持っている能力をそれぞれのやりたい方向に伸ばしていった結果が今の状態です。僕の場合は身体能力に自信がなく、どちらかというと運動が得意な方ではなかったので、まず技を分析することから入りました。回転技やトリックを見て、どのようにやっているのかを分解していき、練習方法を自分で見つけていきました。
武士:兄弟でスケーターという人は今までたくさん見てきましたが、やはり同じタイミングで練習をして、同じような環境で育ってきているので特徴も似てくるんです。でも僕ら二人に関しては全く別の道をいきましたね。
――遠征などは基本的に一緒に行くことが多いのでしょうか。
エイト:最近は別がほとんどですが、前は同じ大会に出る機会も多かったので、一緒に行っていました。
――一緒に行動しているとケンカになったりしませんでしたか
エイト:常にライバル意識はあって、特に小さい頃はそれが強かったですが、取っ組み合いのケンカをするようなことはなかったです。
武士:同じ大会に出るということはスケート場でケンカしているようなものですからね(笑)ただ、兄は上という立場から来るプレッシャーもあって、いろいろ背負っていたものはあったと思います。
エイト:子供ながらに遠征にどのくらいのお金が遠征にかかっているのか、だんだん分かってくるので、そういうプレッシャーは出てきましたね。当然1、2年で結果が出るものではないので、焦りを感じた時期はありました。
――今まで競技をやってきて一番辛かったことを教えてください。
エイト:やはり海外への遠征に出始めて1、2年目の頃ですかね。明確な額までは知らなかったですが、親は借金してまで僕らを海外に行かせてくれていました。それを何となく分かった時、結果を出せないことに対してすごくもどかしい気持ちになりました。勝つためにはそれなりの技術も勇気もいりますし、少し頑張ったくらいでどうにかなるようなものでもありませんから、戦う上での難しさは感じた時期だったと思います。
アメリカで開催されている世界大会だと同じくらいの実力、演技ではやはりアメリカ人が勝つんです。だから、僕らが勝つためには誰が見てもこちらの方がうまいと思わせるくらいの圧倒的な差を付けなければならず、その壁が大きかったですね。
武士:常々他を圧倒しないと勝てない、と話していた父のその言葉は今でも響いています。アメリカ人から見ればいきなり日本人の二人組の子供が出てきたわけですから、「お前ら誰や!」と感じても不思議ではないですよね。
エイト:本気で日本人はこのスポーツでいくらうまくなっても勝てないと思い込んでいた時期もありました。
「自分の行動そのものが日本だけに限らず、世界のインラインスケートの歴史を左右する立場にいる」
――逆に、一番嬉しかった時を教えてください。
エイト:もしかしたら今が一番かもしれないですね。自分の行動そのものが日本だけに限らず、世界のインラインスケートの歴史を左右する立場に今はいるので、やりがいがあります。反面、僕ら二人が普及を含めた活動を止めてしまえば、競技としてはおそらく痛手になるでしょう。
武士:小さい頃はそんな立場になるとは夢にも思っていなかったですからね。こうなれたのはホンマに奇跡なんです。世界大会で勝った時だって、誰よりも驚いたのは自分達でしたから。日本人としてアメリカで戦う上でぶつかっていた壁を突然越えてしまったわけです。
エイト:一回勝ったことで自信が付きました。それ以降はちゃんとやれば勝てるという前提を持って臨むことができるので、うまくいくんです。
武士:兄が優勝した試合でまだ僕は7位だったんですけど、それでもびっくりしました(笑)
エイト:もちろん一回勝ったことによって、次また勝たないといけないというプレッシャーは来ます。でも何よりもまず、1つ勝てたことが大きかったんです。
武士:これは偶然なのですが、僕も次の年に兄が勝ったのと同じ大会で初めて優勝しました。1998年には初めて、世界で20人しか出ることができないXゲームズの選手に一緒に選んでもらうことになります。
しかしその後、兄が大会でどんどん優勝していく傍で、僕はなかなか勝てずにいました。決して自分の状態が悪いわけではないのに2位だったりするんです。結局何かあと一歩足りないという状態が4年間、続きました。それで競技の方向性に迷ったこともあったんです。でも2002年にようやく勝てたことで自信にもなりましたし、より自分のスタイルを確立するきっかけにもなりました。
エイト:やっぱり目の前で優勝されると悔しいよな!
武士:一緒に遠征に行っていると試合後に食事で顔を合わせたりするのですが、素直に祝ってあげようという気持ちにはならないです。
エイト:でも、そのライバル心は必要ですね。
武士:ただ、他の選手を見ている時とは違って、大会中でも真剣にお互いのことを応援はしています。その時はあくまで家族の一人です。
兄弟なので周囲からは比べられる運命にあると思うんです。でも兄が勝ち始めて自分が勝てていない時期に周りから同情されるのは辛かったです。歳は僕が3つ下でもスケートは同時に初めていましたから。
でも僕も1年後に初優勝してからはそれぞれのプレースタイルを周囲が認識してくれるようになって、滑るのが楽しくなっていきました。周りのために自分を変えるのではなくて、自分の滑りによって周りを変えることができたということです。求められているものに合わせるのではなく、あくまで自分を貫いた結果だというのは兄も僕も感じているところです。
エイト:僕は大会といっても、ここ10年くらい試合なのか、ただのパフォーマンスなのか線引きができなくなってきています。
会場では安床兄弟のどちらが勝つのか楽しみにしてくれている人がいますが、それはそもそも二人がいい滑りをしないと成り立たないわけです。だから試合もショーも結局あまり変わらないんですよね。
【後編へ続く】