サンフレッチェレディースからの転身。ゴール裏の「大旗振り」が語る広島愛[PR]
「サポーター」が、そのチームを選んだ理由は人それぞれ。生まれた時から地元愛を貫く人がいれば、特定の選手に惹かれてサポーターになる人もいます。そんな愛するチームを応援する人々のストーリーに迫るのが本企画「チームを支えるサポーターの“応援”の話 powered by HEAT-X/WIND-X」。
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第3回は、サンフレッチェ広島サポーターであり、2015年から2019年まで選手を鼓舞する大旗をゴール裏で振ったえりこさんにフォーカス。
どんな時もサンフレッチェを愛し、応援を続ける境さん。幼少期からサンフレッチェが生活の中に溶け込んでいたという彼女が、チームに抱く”無償の愛”とは。彼女のこれまでを振り返りながら、その真髄に迫ります。
幼稚園児の頃からゴール裏に
私の祖父がサンフレッチェの前身のチームでサッカーをしていて、地元の少年団のコーチも務めていました。1993年にJリーグができたのですが、祖父にとっては待望のプロリーグ発足で、スタジアムに私を連れていって見にいくようになっていきました。当時は幼稚園生だった私に、祖父が色々と解説してくれて、その中でサッカーが楽しいと思えたんです。その後、小学生に上がった後も1人で試合を見に行くようになりました。
私が生まれ育った場所は、サンフレッチェが最初にホームとして使っていたコカ・コーラスタジアムの目の前だったんです。試合日には声援がバンバン聞こえてくるほどの近所。テレビでサッカーを見ていて、1-0でサンフレッチェが負けているときには「えりこが行かないと負けちゃうから行ってくる!」と言って、祖父が買ってくれた旗を持ってスタジアムに行っていました。
当時、後半からに限って小学生は無料だったんですよ。だから1人でスタジアムに入って、芝生のスタンドで他のサポーターたちの足元をくぐり抜けて、1番前で旗を振っていて。今思うと本当に邪魔だと思うんですけど(笑)。ゴール裏で旗を振ったのは、これが最初です。
その後、ビッグアーチに本拠地を移したことでなかなか行けなくなり、熱は少し冷めてしまいました。ただ、海外のサッカーを見ている時期もあったので、サッカーはずっと好きでしたね。短大と社会人の合わせて4年間は東京に住んでいましたが、日本代表の試合は放送があるたびに寮で見ていました。社会人になってからはほとんど見た記憶はないですね。
久々に体感した“無敗記録”
そんな中で熱を再び取り戻したのは2010年ごろですね。2009年に父が亡くなったこともあって、東京から広島に戻って働き始めました。たまたまチケットを会社でもらって観に行ったのですが、その試合でサンフレッチェが勝ったんです。
そのとき、小さいときに私が見に行った試合で負けたことが1度もなかったことを思い出して。中学、高校までその“記録”は続いていて、「また勝ったな」と思いながら歩いていたら、グッズ売り場を通りました。そこでタオルとユニフォームを買ったんですよね。そして、「またサッカーを見に行こう」と思ったんです。
結局、その年(2010年)は7試合くらい見に行ったのですが、「これだけ行くなら…」と思って、翌年の2011年からシーズンパスを買いました。エリアはサポーターが声を出して応援するB6ゲートの席です。周りに熱を持って応援している人はあまりいなかったので、1人で行く覚悟を決めて、そのシーズンはホームは全試合行きました。それから今まで、ビッグアーチでの試合は全部行っていると思います。
サンフレの魅力を気づかせてくれた女子高生
その翌年、2012年にはサンフレッチェ広島を1年間PRするボランティアの女の子たちから成る“サンフレッチェレディース”を務めました。今はSPL∞ASHという地元のアイドルグループがやっていますが、3世代目までは一般の子がやっていたんです。
もともと、私がビッグアーチへ応援に行くときは、ほとんどひとり。たまにサッカーが好きな男の子を誘っていたという感じです。女の子で応援している人が少なかったので。いつも「なんでこんな面白いスポーツが広島にあるのに、みんな見に行かないんだろう」「どうやったらみんなが来てくれるんだろう」とずっと感じていました。
そう思っていた中、負けた試合の帰りにたまたま女子高生2人の会話が聞こえてきたんです。2人はあまりサッカーを知らなそうだったのですが、彼女たちは「負けたのに楽しかった」と言っていたんですよ。それがとても印象に残って。「負けたのにもう1回見に行きたくなるサンフレッチェのサッカーは魅力的なんだ」と確信したんです。
当時の監督だったミシャさん(※)が直接言っていたのか、他のサポーターさんから聞いたのか忘れたのですが、ミシャさんの求めていたのが“ボールも人も人の心も動くサッカー”だったんです。「それだな」と思ったんですよね。それが広島のサッカーの魅力なんだなと。
※北海道コンサドーレ札幌の監督を務めるミハイロ・ペトロヴィッチ氏の愛称。2006年から2011年まで広島に在籍
それを気づかせてくれた女の子2人は、その後に来たかは分からないですが、彼女たちのおかげで自分が伝えたいことが何か分かったんですよね。サンフレッチェレディースの存在は知っていて、彼女たちの1年間の活動を見ていたら、「私がこれになれたら少しでもPRできるんじゃないか」と思い、やろうと決めました。
2012年シーズンはまるまるサンフレッチェレディースとして活動をした中、少しは貢献できたのかなと思います。当時、クラブのSNSが一切なくて、発信するツールが基本はホームページだけでした。そこで私たちが自分たちのSNSアカウントを作ってHPのURLを貼ったり、「こういうイベントがありますよ」ということを発信したりして、クラブのPRを手伝ったんです。
地元のテレビやラジオにも出たり、有料のモバイルサイトで試合当日のグルメの紹介や感想のコラムを書いたり、スタジアムで売り子さんみたいなこともしましたね。新しくサッカースタジアムができることが決まりましたが、実は2012年が新スタジアム建設について一番熱気があって、街頭に立って選手と一緒に署名活動の手伝いもしました。ボランティアでやっていましたね。
多少なりとも批判されることはありましたけど、とても楽しかったですね。やってて良かったと思いました。結果的に初優勝も経験できましたから。
でも、優勝の瞬間はメインスタンドの下にいて…。レディース時代は運営の方たちと一緒に、ピッチレベルに近いところで見ていたんですよ。もちろん、大号泣。
多くの人が入れないピッチレベルでその瞬間を味わえたのはとても幸せでしたが、ただ、初優勝の瞬間をB6ゲートで味わいたかったという思いもありました。贅沢な話ですが。
ゴール裏で旗を振る“使命感”
2009年から2017年まで所属したミハエル・ミキッチ選手が大好きでした。
本格的に応援し始めた2011年に試合をちゃんと見たときに、感覚的に攻撃のスイッチを入れるのはミカ(ミキッチ選手の愛称)だと思ったんです。魅力あるサッカーを体現してくれているのは彼だなと。そこからユニフォームも買って応援していたら、クロアチアの国旗を振っていた人が、毎試合その旗を貸してくれたんです。そして、気づいたら一番前で応援していました。
ゴール裏での大旗を振りだしたのは、2015年です。
ガンバ大阪とアウェイで戦ったチャンピオンシップの初戦が、平日開催だったのですが、旗を振る人が少なそうだなと思ったんです。でも、ゴールが入ったときやチームが勝ったときに、大きな旗が振られないのは悔しいなと。強いチームって旗がいっぱいあるじゃないですか。ガンバもそうだし、浦和も、鹿島もそう。それがすごく羨ましかったんです。
でも、サンフレッチェはアウェイのゴール裏で旗を振っている人がほとんどいなかった。ホームは居るけど、アウェイになると色々な事情が重なって、行く人が少なくなってしまうんです。このときもそうでした。ゴールが入っても旗が上がらないのは寂しいですし、勝ったら自慢をするように旗を大きく振り回したいなとも思って。そこで初めて、大旗を持ち主から借りて、大阪まで持っていきました。
結果的に優勝できましたけど、ガンバとアウェイで戦ったこの初戦の勝利が本当に大きかったです。
次のシーズンが迫ってくる中、旗振りを継続してやるかどうかで悩みました。開幕戦はホームだったのでやらず、次のアウェイ戦はどうしようかな…と思って。でもやっぱり、旗を振ってチームの力になりたいなと。そこから旗の持ち主に連絡をして、どういう旗を持っているか聞きました。そこで「エンブレムの旗があるよ」と言われたので、「ぜひそれを振らせてください」と。
そのアウェイ1試合だけやるつもりだったのですが、「ずっと振ってたいな」と思ったんです。ゴールが決まった時、チームが勝った時にチームの旗がないのは個人的に嫌だった。だから、ずっと旗を借りたままで使わせてもらっていました(笑)。
ただ、大旗に関してはいろいろとあったので、2019シーズンで一旦お休みする事にしました。
エディオンスタジアムをはじめ、ほとんどのスタジアムで大旗を振ることができる場所の基準って明確ではないんです。誰でもその場所に行ける。
ホームでもアウェイでも、たくさんのファン、サポーターさんたちにお世話になって、私は大旗を振らせてもらいました。大旗が自分の目の前にあることを嫌がる人もいれば、見たい場所が重なって取り合いになることもありました。でも、その中で関わってくださった周りの方々には感謝しかありません。この場を借りて御礼を伝えたいです。
ただ、大旗を辞めるからって、ファン、サポーターを辞めるわけではないです。応援の仕方、場所は違えど気持ちは変わりません。
もともとサッカーは好きだし、広島にはサンフレッチェしかいない。だから、応援し続けます。いつかはスタジアムに行けなくなったりすることもあるだろうけど、応援しない理由が見つからない限りは応援し続けたい。
サッカーの世界は移籍がつきもので、毎年多くの選手が入れ替わります。でも、これまで紫のユニフォームに袖を通して戦ってくれた選手、これから袖を通して戦ってくれる選手には感謝の気持ちを持っています。そして、このサンフレッチェ広島のユニフォームを着ている選手には、楽しいサッカーを見せてほしいなと。
そういう思いをもって、応援を続けようと思います。
寒くて辛かった試合は…
2012年の12月9日、19時30分キックオフの豊田スタジアムでのアル・アハリ戦。雪が降っている中、最前線で応援していました。前半8分に西川周作選手が相手選手と交錯して、怪我で増田卓也選手に交代しました。サンフレッチェがすごく押していた中、GKにあまり出番がなかったんですね。そこで増田選手の頭に雪が積もっていて、ずっと「寒くないのかな…」と思っていました(笑)。もちろん応援している自分たちも寒かったんですけど。
あとは2014年の仙台戦。最終節で、雪が降って真っ白で何も見えなくなっちゃって。サンチェ(※)の頭にも鼻にも乗っていました(笑)。広島で雪が積もることって基本的にないんです。湿気が多いから水気のある雪になって、溶けてしまうんです。だから、積もる雪ってよっぽどなんですよ。
※サンフレッチェ広島のマスコット
私は試合中もユニフォームの上にパーカーなどは着たくない。そもそも上着の上に着るという想定でユニフォームは買いませんよね? だから、試合中に上着は着ないというポリシーがあります。雨でもカッパは絶対はおりません。旗を振るのに邪魔だったからということもありますけど(笑)。
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